耐用年度?

やっぱり精神的に余裕の無い生活をしているのだろうか?部屋の掃除も、何と言えばいいのか、つまり毎日のきまった通り道(動線?)で目立つゴミだけをとりあえず捨てたり片づけたりするが、掃除機などはめったにかけないし、後は恥ずかしいので書かないが、ともかくきまった動作を繰り返すことで精一杯といったところである。
 だから下手をすると一年以上もまったく手に触れない家具や機械や書籍が身のまわりにわんさと控えている。例えば今日、3、4年も触れなかったレコードプレイヤーを操作してみた。埃をかぶってはいたが、なんとか動いた。コンポ自体も、十年以上も前に娘が捨てようとしたものを貰い受けたもので、テープレコーダー部分は半分壊れている。つまり録音不能となっている。
 全部で30枚くらいしかないレコード盤の中から、以前よく妻が聴いていたものをかけてみる。「サン・トワ・マミー」や「雪はふる」を唄うアダモのレコードである。ついで越路吹雪、ナルシソ・イエペスが続く。耳がいいわけでもないが、テープやCDの音色(この場合ネイロではなくオンショク)とは明らかに違う。なかなかいい。針先がレコード盤の溝を擦る音がなんとも言えない味を出す。
 むかし安岡章太郎さんのお宅で、ご自慢の大型スピーカーから出てくる音にビックリしたことを思い出した。たしか安岡さん自身は、音楽評論家でもあった五味康祐氏に刺激されて「音に凝る」ようになったらしい。いまでも真空管式アンプにもこだわって夜な夜な古いレコード盤を廻す愛好家が五万といるはずだが、私はそこまでハマるつもりはない。だいいちそんなお金はない。
 そうした凝り屋さんがいる一方、世の趨勢はすべて買い替え推奨の時代。企業が都合のいいように割り出した「耐用年数」とかを消費者は頭から信じ込まされて、まだ充分使われるものをせっせと買い換えている。その最たるものは車だろうが、性能の良くなった日本のエンジンなど優に25年は大丈夫なのにモデルチェンジの度に落ち着かない気持にさせられている。
 そのうちアレがやってくる。チデジというヤツが。その時になって気が変わるかも知れないが、今のところ最低限度の対応で間に合わせようと思っている。つまりチューナーだけ買うことにする。だいいち使う人間の方に情け容赦の無い「耐用年度」が迫っているというのに、電化製品などの変化に振り回されてたまるか、と思っている。
 住んでる家から始まって、すべての家具、衣服、機械…大事に大事に使っていこう。それで世の中の景気上昇のブレーキになったって、そんなこと知ったこっちゃねえよ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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