そこに山があるから

生まれつき不精な性質(たち)だからか、不自然な無理が嫌いだ。「なぜ山に登るのですか?」という質問に、「そこに山があるから」と答えたのはだれでしたっけ。エベレスト初登頂に成功したイギリス隊の登山家ヒラリーだったろうか。この言葉、実は私、好きでない。登山を不自然だなどと言うつもりはないが、測候所などの設置とか、気象観測に絶対必要な場合を除いて、後は限りなく趣味の世界で、どうぞご自由に。だから登るのが嫌いな人を根性無しなどと言わないで(誰もそんなこと言わないか)。
 ともかく上は宇宙開発から、未開地への冒険行…バイオテクノロジー……果ては政治的野心、これ全て人間の中にある、良く言えば飽くなき探究心、正直に言えば貪欲さの現われである。ためしに宗男ちゃん(もちろん鈴木さんちの)に聞いてみたまえ。「君はどうして政治家を志したのか」。彼は間違いなくこう答える。「そこに政治があるから」。もっと正確に言うと、「政治家中川一郎の背後に永田町、国会議事堂、そして究極のところに宰相の椅子があるから」。
 近代の功罪については、既に語り尽くされた感がある。敢えて一つに絞り込めば、進歩幻想であろう。つまり人間は常に前進せねばならず、そしてその努力は必ずや正当に報われるであろうとの幻想である。進歩幻想は、必ずしも現世的・世俗的欲望だけにとどまらない。精神的・宗教的欲望には、さらに純化された形で、つまりよりパワーアップされた形で関わってくる。精進・苦行が時にはグロテスクなまでにエスカレートし、法悦がマゾヒスティックなものと区別がつかなくなるのもそのためである。
 これまでの技術的進歩とは比べようもないほどのスピードで全てが日々、いや毎瞬毎瞬進んでいる。どこまで進めば気がすむのか。昔は一日に一、二分の誤差ですめば時計として十分用が足りたのに、今ではテレビ局のディレクターでもないのに、月十秒ほどの誤差しか出さない時計を幼稚園児でも持っている。炊飯器や扇風機にまで組み込まれた時計、いったいいくつの時計が身の回りにあるか。十くらいでは済みませんよ。でもそれは何のため。
 今日もテレビで宣伝している。運転しながら行き先を瞬時にナビする新型車。おいおい、交通事故の機会を増やしてどうする(昨日の原発問題を考えようと思っていたのに、どんどん話が広がっていく。これって、やっぱし近代精神の影響?)
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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