最初に勤めた大学の卒業生から、同窓会への誘いが送られてきた。代表者の名前にかすかな見覚えがあり記憶をたどろうとしたが無理であった。ところで今までいったい何人の教え子を持ったことになろうか。最初の大学に十五年、二番目の大学に五年、三番目の大学に十四年、つまり合計三十四年教師生活を続けたことになるが、その間、専任の大学以外に四つの大学の非常勤講師もやった。だから教えた学生の数は……やめた、数えたって意味がない。
四月下旬に大学近くで行なわれるというその同窓会には残念ながら出席できないが、返信用はがきに近況報告をした。そして現今の大学教育に深く絶望しています、などと言わずもがなのことも書いてしまった。おそらく四十代後半の彼女たちにその「絶望」などという唐突で生臭い言葉が理解されるであろうか。
教師を辞めて一年になるが、いい時に辞めたという気持ちはいよいよ強まっている。妻と時おり、あゝ辞めて本当によかったねー、続けてたら今ごろどうなっていたかねー、と話し合いゾッとすることがある。
しかし「絶望」は何に対してであったか。今なお頑張っている友人たちには悪いが、結局は教師たちに対するそれであったと言わなければならない。経営陣が教育よりも経営を優先させるのは、特にこの不況の時代、仕方のないことと思っていた。我慢ならなかったのは、教育の理想を追求しなければならぬ教師たちが精神的にはプチ経営者に成り下がっていたことである。理想と現実が噛み合わないのは当たり前、だれも理想がそのまま実現するなどと考える馬鹿はいない。しかし利潤追求の企業ならいざ知らず、まさに教育という場で理想が常に思い起こされ、追求されなかったら、いったいどこで理想が生き長らえようか。
もちろん大学といえども教職員の生活がかかっており、組織としても生き長らえる必要がある。だから理想と現実のぎりぎりのせめぎあいと衝突があるのだ。誠にしんどいことではあるが、しかしそのしんどさを避けたり省略することはけっしてあってはならないのである。たとえば一昔前までは産学協同とか学費値上げなどは、提案する方にも大変な緊張を強いられた案件だが、しかし現今の教授会で(たとえポーズとしてでも)それらに反対したり待ったを掛ける教師はいないのでなかろうか。
教育の理想主義は(政治の理想主義も)純度が高くなければその存在理由を失うのである。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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