猫を捨てる

今なら考えることもできないことだが、昔むかし、猫を川に捨てに行ったことがある。そんなむかしのことを、今朝方、寝床の中で急に思い出し、それからは眠れなくなってしまった。一家が駅近くの一東という屋号を持つお屋敷に間借りしていたころだから、昭和26年だったろうか。たしか夏休みで、当時属していたボーイスカウトのキャンプ(馬場のバッカメキ近くで)から帰ってくると、留守中迷い込んできた猫を飼うことにした、と母が言う。猫は余り好きでなかったのだが、仕方がない。
 それから数日を経ずして、その猫が家の中で粗相をするので、捨てて来いと母に命じられた。ボール箱かミカン箱に猫を入れ、自転車の後ろにつけて、新田川に行き、橋の上から捨てたことを覚えている。箱に入れるときに、手を爪で引っかかれたような気がするがはっきりしない。また川下に流れてゆく箱が破れるか壊れるかして、猫が箱から頭を出していたような気もするが、これもはっきりとは覚えていない。
 言い訳にもなんにもならないが、猫を川に捨てるのは、そのころ普通に行なわれていたような気がする。いずれにせよ、ひどいことをしたものだ。猫はそれ以来飼うことはなかった、何十年か後、八王子でグレに会うまでは。
 そのお屋敷には、私たち家族以外にも、何家族か住んでいた。昭和25、6年ころだから、住宅事情は悪く、大きな家に何家族も同居するのはめずらしくなかったはずだ。かなり広い屋敷の周囲は板塀がかこっており、裏庭には蔵や栗の木があって、特に栗の花が咲くころはじめじめと気持悪い庭だった。
 ときおり家主の奥さんが見回りに来ることがあった。一東などと屋号を持っていたからには、以前はなにか商売をしていたのかも知れない。そういえば町には他にも「…東」という屋号を持つ商家が何軒かあったから(もしかして今も?)、裕福な一族のコンツェルンがあったのか。
 そのころ母は(昔はばっぱさんとは言わなかった)、隣村(今では合併したが)の石神中学校に通勤していたのではなかったか。そのため自転車の練習をしていたのを覚えている。北海道帯広から越してくるときは、それまで勤めていた帯広一中を休職するかたちで内地に来た。結核検診により休職を命じられたからだ。ところで昨日話題にした池澤夏樹の父・福永武彦の年譜を見ていたら、「1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、3ヶ月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、翌年再び帯広に渡り、帯広中学校の英語教師として赴任する。その年に処女作「塔」を発表。しかし冬に肋膜炎を再発し、1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した」とあった。
 母は満州から引き揚げて帯広に帰った年(昭和21年)十月、十勝支庁の教育課に勤務したが、昭和23年4月から帯広一中の教員になった。ということは福永武彦が上京した数ヵ月後に母が赴任したことになる。つまりすれ違ったわけである。
 それはともかく、私自身の過去もかなりのことが忘却のかなたに消え去ろうとしている。過去のことなどどうでもいい、大事なのは未来だ、という考え方もあるが、私としてはできれば自分の過去をしっかり確かめておきたい。パソコンには「年譜・日録」というフォルダがあり、生年の1939年から一年毎のファイルを、つまり71個のファイルを用意しているのだが、ある程度のデータで埋まっているのはそのうちの五分の一にもならないであろう。たとえば、猫を棄てた昭和26年(1951年)はまったくの空欄であった。
 後ろ向きに生きるつもりはないが、しかしできれば自分の過去もそれなりに内容を充実させてから死にたいと願っている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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猫を捨てる への1件のコメント

  1. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    間違えたようですね。そうです昭和26年(1951年)のことです。

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