韓流ドラマのように

このところ自分の仕事はそっちのけで、バッパさんの文集作りに精を出している。今日も朝から三冊作った。三冊目は、表紙と中扉の「虹の橋」という字を少し変えてみた。つまり虹をイメージして、「虹」という字を赤に、「の」は黄色、そして「橋」を青にしてみたのである。本当は最後の字は虹らしく紫にしたかったのであるが、色サンプルに適当な色がないので青にした。
 なかなかいい感じになった。昨日はいわきの姉に送ったので、今日は途中、郵便局に寄って、仙台の兄、帯広の健次郎叔父に郵送。そして虹色のやつはまずバッパさんに見せてから、と施設に行ったのだ。
 それでバッパさん、いい感じで昼寝から覚めて何て言ったと思う?(はて誰に聞いてるの?)「怒っかもしんねけんちょも、そこにある手書きの歌集も入れてもらえねべか?」それを聞いたとたん息子の「瞬間湯沸し器」が一気に沸点に達した。「なーんだべー昨日あれだけ言い聞かせたのにもー忘れたのか? あんた(急にあんた呼ばわり)も了解したこと、なんでまたひっくり返すだ!」
 「いいかも一度言うどー。あんたの短歌なんて十首のうちいいものなんて一首あるかねえかなんだど。57577とたーだ音揃えただけの駄作のオンパレードなんだど。今度の本に入れたのは、文学的価値というより、明治・大正・昭和・平成と生きてきた人間の証言として意味があるからなんだど。収録されたものだけで、バッパさんという人間の全体像は十分すぎるほど十分表現されてんだど。それ以外に、どこそこの観光地さ行って感動したとか、どこそこの団子はうまかったかなど(あれっ、そんなこと書いてなかったか)、読まされる方の身になってみー。」
 「バッパさんよ、確かにバッパさんはいろんないいことしてきた、それは認める。人も殺さなかったし、暴力振るったこともなかんべ。だけんちょもな、バッパさんよ、一番大事なこと忘れて生きてきたんと違うか。あんたの本作るため、ここ数日、まるで鶴の恩返しの鶴みてに、一枚一枚紙さ折って、糊つけて本作ってきたこの俺に、そんな言葉はなかんべさ。その好意を踏みにじって、水ぶっかけるようなこと言ってー!あーあ、やってらんね、全部無いことにすっと!」
 するとバッパさん、さすがに言い過ぎたと分かったのか、「すまん、もう言わね、口が裂けてももう言わね。こんど言ったら殺してもらってもえ」
 あれっ、ちょっと脅かし過ぎたかも。「分かった。もちろん殺しなんかしねえ。そこまでわかってくれたんなら、このことすっぱり忘れっぺ」「もう言わね、、ほら手付いて謝っから許してくれろ!」。まさかそうはさせなかった。
 帰りがけ、いつものとおり廊下に出てきてガラス戸越しに手を振ったが、今日はさらに神妙に両手を合わせた。あーなんて激しい親子だこと。まるで韓流ドラマの登場人物たちのように劇的に生きている。
 やっぱ、95歳のばあさんつかまえて、ちょっとやり過ぎたか。でも今日のバッパさん、なんと生き生きとしていたことか。こちらはうーんと疲れたのに。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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