遺稿集の前倒し

あと二月ちょっとで、バッパさん、96歳になります。それまでにバッパさんの文集を作ってやろうと、毎日少しずつ準備しています。実はあらかたは出来上がっており、その「テスト版」を先日一冊作って、すでにバッパさんに渡している。大きさはB6版というのか四六版というのか分からないけれど、つまりB5の半裁版で、200ページを少し超える厚さになった。
 しかしその後、「であい」という県(?)の同人誌や。「海岸線」という地元の同人誌に書いたものなどが見つかり、今その補充をしているところである。しかしそれですべてではない。バッパさんの手元には、さらに数冊、手製手書きの歌集めいたものもあり、それらすべてを収録するとなったら、何ページ増やしても足りないであろうし、肝心の誕生日までの完成もおぼつかなくなってしまうであろう。だからこの辺で打ち止めとさせていただくつもりである。
 身内の者に配るだけなので、今のところ、軽印刷屋さんに印刷(というより原版はできているのでコピーということだが)や製本を頼むまでもなく、すべて手製でやってみるつもり。死んでから、などと露骨な物言いで恐縮だが、遺稿集として出してやるより、まだ元気なあいだに作ってやる、というのがミソである。だいいちバッパさん本人が予想以上に喜んでくれているのが嬉しい。
 だいぶ前、作家の真鍋呉夫さんが沼津の、たしか芭蕉さんとゆかりのあるお寺で「生前葬」という洒落た催しをされたことがある。一応お坊さんがお経を上げたり、参列者がお線香をあげたり、本人がぴんぴんしているのに神妙な儀式があって、面白い体験をしたが、今回のバッパさんの文集もいわば遺稿集の前倒しのつもりである。
 テスト版では、短歌は12ポイントの大きな字でレイアウトしたのだが、それだと一ページに三首しか入らず、それでポイントを10.5と小さくした。それでも新たに加えたものがあったりして、やはり200ページを越えそうである。略歴とか業績など簡単にまとめてやれば格好がつくのだが、さてどうしよう。どちらにしても、編者の弁は書かねばなるまい。思い切りふざけた文章はこの際は謹んで、まともな経過報告にするつもりだが、積年のうらみつらみが暴発するかも知れない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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