松葉牡丹

インターネットを通じて知りあった友人たちのおかげで、今年は全国各地の自然、とりわけ珍しい花々や動物たちの写真を見ることができる。みな玄人はだしの腕をしているので、下手な図鑑より数段鮮明な画像で自然界の美しさを楽しませてもらっている。このホームページからリンクされているCAT MINTの純子さんのところに行けば、十勝のキタキツネはもちろん全国各地から珍しい植物や動物、そして昆虫が集まってきている。秋山工房のミチルさんのところに行けば、山梨の自然だけでなく、いまや都会ではめったにお目にかかれない健康そのものの自然児(失礼!)に会うことができる。
 私の書斎もどき(廊下の隅)から毎日のように眺めている国見山(標高563.7m)にも実は豊かな植生の世界があることを、先日ネットの上で知り合ったトモジさんから教えられ感激している。各地の皆さん、お暇のときぜひ国見山に登ってみてください。このトモジさんの家は、もしかすると我が家から二、三百メートルと離れていないところにありそうだが、まだお会いしていない。独身の若い男性のはずだが、そのうちお会いできるのでは、と楽しみにしている。
 ところでいまフロントページを飾っている松葉牡丹も、すぐ側の狭いベランダに咲いている花である。昔からなぜか好きな花なのに、なぜか近くに見る機会に恵まれなかった花である。先日家内が、六十三歳になった(嗚呼、もうそんな歳になったのか!)私めのために買ってきてくれた。葉っぱが細く柔らかなサボテンみたいになっていて(プチンプチンしている)、バラエティーに富むその花びらの何と可憐なこと!初めて見たのは、確か旧満州熱河省灤平のレンガ造りの家の前だった。他にも矢車草と鳳仙花が咲いていたことを覚えている。
 なぜ人はある特定の物あるいは形に対して特別な魅力を感じるのか。いや物に対してだけでなく、もっと不思議なのは、なぜある特定の人(とりわけ異性)に特別に惹かれるのか。「蓼食う虫も好き好き」という言葉もあるが、万人が同じ対象に殺到しないために神様が仕組んだことなのか。
 この「好み」の問題は哲学的にも難しいテーマであろうが、いま漠然と考えているのはもっと単純なこと、つまり幼児体験の重さである。幼児退行となれば病的だが、人は歳をとるにつれて幼年時に戻っていくものらしい。(9/5)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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