午後ぼんやり山の方を眺めていたら、急に八木沢峠まで行きたくなった。昔々、この八木沢峠を何度も越えた時期があったからである。山向こう(福島市)で高校の教師をしていた今の(?つまり結婚前の)家内と会うためであった。そのころは福島までの直行バスが朝晩二便あった。まだ舗装されていない砂利道の八木沢峠は(峠と言ってもたぶん海抜四百メートルくらいだと思うが)、ベテランの運転手でも越えるには相当の技量が必要だったはずだ。しかし今では全路が舗装され、一番の難所であった九十九(つづら)折の坂も難なく越えられるようになっている。しかし利用客が少なくなったためか、現在では福島に行くには川俣で乗り換えなくてはならない。川俣はかつては絹の町、今では毎年十月に全国規模で開催されるフォルクローレの祭典コスキンで有名な町である。
午前中はバカ犬のウンコの後始末などでさすがにうんざり、気分も鬱屈もしているらしい家内もすぐ賛成した。この息子夫婦は車でろくに遠出もしない、たまには自分もドライブに連れてってもらいたいのに、というバッパさんの無言の圧力があるが、今日は誘う気にはなれず、行き先を言わずに出かけた。
行き交う車も少ない道を峠に向かって登って行く。紅葉の最盛期にはまだ間があるのか、黄色と赤の帯はまだまばらだが、それでも秋の山々の素晴らしい衣装が行く先々に広がっている。途中、道に沿って何軒かの民家が点在するが、夜は漆黒の闇の中で寂しさも半端じゃないだろうな、と思っていたら、そのうちの一軒から精悍そうな黒の四輪駆動が出てきた。道路に踊り出るのも慣れたもの、見ると都会にもいそうな派手な格好のお姉ちゃんが乗っている。なるほどねー、寂しくはないか。
記憶の中では、峠の頂上から海や町並が見えたような気がしていたが、頂上あたりになっても別段視界が開けるという具合にはなっておらず、すぐ川俣へと向かう下り道になった。仕方ない、今日のところはUターンして帰ろう。しょっちゅうこの峠を越えている友人の話だと、日本猿の一団がこの峠あたりを徘徊していることがあるというが、今日は残念ながら彼らにもお目にかかれなかった。それにしても車に乗ってわずか数分、いや数十分でもう深山幽谷に入り込めるというのは、なんと贅沢なことか。また時間を作って(時間ならいつでも作れまっせ)今度はゆっくり紅葉狩りとでも洒落ようか。 (10/27)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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