先日O氏からいただいた「ル・ファール」(フランス語で灯台を意味する)という洒落た雑誌の奥付を見ていたら、発行所が「れんが書房新社」となっていた。なつかしい社名である。
むかし、その当時から出版界の不況が始まっていたのだろうか、翻訳をしても引き受けてくれる出版社がなかなか見つからない。そこでワープロで印字したものを勤務校(清泉女子大)近くの軽印刷所に持って行き、印刷製本を頼んだ。こうしてできたのがマダリアーガの『情熱の構造―イギリス人、フランス人、スペイン人』とライン・エントラルゴの『スペイン一八九八年の世代』である。奥付を見ると、一九八三年四月、六月となっている。
それがどういう経路であったかははや忘却の彼方だが、れんが書房の鈴木誠氏の眼に止まるところとなり、まず『情熱の構造』(一九八五年)を、次いで何と『九十八年の世代』(一九八六年)までも出版してくれることになった。しかしもちろんそれだけが原因ではないだろうが、まもなく経営不振に陥ったとの風の噂を聞いたように思う。氏と直接お会いしたこともあった。八王子のどこかに倉庫を借りていて、そこに来られたときにお会いしたのだったか。ご自身詩人であり、いわゆる商売人とはほど遠い静かなお人柄が印象的であった。
それから四半世紀が過ぎたわけだ。その間はまったく交信が途絶えた。そして「ル・ファール」との出会い。この雑誌は仏文学の小海永二氏の季刊個人誌で、氏と交流のある詩人や評論家の作品が掲載されている。さっそく奥付にあった電話番号を回して、氏と旧交を温めることができた。昔は社員が複数いたと思うが、いまは居候兼イラストレーターと氏だけの文字どおりワンマン会社。
ともかくあの当時すでに始まっていた出版界の不況は、いまやアイパッドや電子書籍の登場で「構造不況の下り一本道をズルズル滑り落ちる」(氏の表現)一方で、れんが書房新社のような弱小出版社の生きのびる道は閉ざされているとのこと。現在では企画出版というのか、委託されたものを出版しているらしい。
そして今日、日仏学院企画・日仏演劇協会編集の「コレクション 現代フランス語圏演劇」全十五巻のうちの本年六月刊行分の二冊が送られてきた。ミシェル・アザマ『十字軍・夜の動物園』(佐藤康訳)とワジディ・ムアワッド『沿岸・頼むから静かに死んでくれ』(山田ひろ美訳)である。いずれも知らない作家の作品だが、前者は一九四七年生まれのフランスの劇作家、後者は一九六八年レバノン、ベイルート生まれの劇作家・演出家と紹介されている。
数々の名著を出してきた良心的な出版社が鈴木氏の代で消えていくのは悲しいが、しかし出版社といえども人間様と同じ、いずれは死んでいく。なら、生きているかぎり、あざとくベストセラーなど狙わず、自分が気に入った本をていねいに出版していくのもいいかも知れない。
私から差し上げた私家本『モノディアロゴス』については、同封のお手紙に「きっちりすっきり出来ていて驚きました。なかなかの技術ですね」と書かれていた。一冊の出版部数は、れんが書房のものの三〇分一くらい(たぶん)だろうが、そう、私も自分の好きなものを好きなように、これからも生きているかぎり細々と出していきますぞ。
【2020年11月30日、息子追記】
マダリアーガの『情熱の構造 イギリス人、フランス人、スペイン人』、ライン・エントラルゴの『スペイン一八九八年の世代』の2書をれんが書房新社へとつなげてくださったのは、川成 洋先生であった。この場を借りて、先生に父に代わり、心からの感謝を申し上げます。以下に先生が父を追悼し、捧げてくださった遺作『情熱の哲学』のご書評を紹介します。