パソコンが壊れるちょっと前のことだから今月初めだったか、例の通りスクリーンセーバーから自動的に映し出される写真の中に、居間で美子が文庫本を読んでいるところを撮ったものが混じっていた。いまそのパソコンが修理中なので確かめることはできないが、ブルーの濃淡のイラストから見て、その文庫本は正田昭さんの『夜の記録』(聖母の騎士社、1999年)だったようだ。ちょうど机の下の本棚から取り出して読み始めて気がついたのである。
それにしても美子が最後に本を読んだのはいつのことだったか。あの写真は、美子が本が読めなくなる直前というか、その不安を確かめる意味で、何冊か気に入った本を読ませたときに撮った写真かも知れない。お気に入りの本と言えば、武田百合子、森茉莉、そして松本清張のものなどたくさんあったが、私なら読む気も起らなかった犯罪ものもよく読んでいた。佐木隆三などの書くフィクションももちろん好きらしかったが、犯罪者を扱ったノンフィクションものが特に好きだった。
だから正田さんの『夜の記録』も、むかし私と文通したことのある人ということより、純粋に(?)死刑囚の手記として読んでいたのかも知れない。
文通したことのある人などと書いたが、実は正田さんのものをこれまでまともに読んだことはないと白状しなければならない。彼が1963年に書いて「群像」の新人賞候補になった小説「サハラの水」は、聖パウロ女子修道会のシスター吉向に借りて読んだが、『黙想ノート』(みすず書房)も『夜の記録』もぱらぱらとページをめくっただけだった。それがどういう風の吹きまわしか、急に読む気になったのである。要するに「死を前にした人間」は何を考えるのか、といった漠然とした興味からである。
巻末に追悼文を書いている劇作家の田中澄江は、正田さんに二回ほど面会したらしく、死刑制度についてもいろいろ考えたようだ。そして制度の廃止を強く主張している。私はと言えば、恥ずかしいことに、今まで正面切ってこの問題にぶつかったことはない。ときに冤罪などが起こる危険はあるが、殺人はやはり死をもって償うべきではないか、と漠然と考えているだけである。
ただ今回、正田さんの本を読んで考えが変わるかも知れない。さきほど思い出したのだが、美子が読んで、私にも読むことを勧めた本がもう一つ、それも正田さんをモデルにした『宣告』という本があったはずだ。確か茶色の布表紙の二巻本ではなかったか。実はいま、下の書庫に探しに行ったのだが見つからず、捜索は明日ということにした。
ネットで検索してみたら、作者の加賀乙彦も死刑制度廃止論者らしい。そのうち『宣告』も読んでみるつもりだが、果たして読後、廃止論に傾くかどうか。死刑であろうとなかろうと、だれもがいずれ死と向き合わなければならないわけだが、いずれにせよ今の私にとっては先送りできな難問であることは間違いない。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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