文献学と書誌学

出版家という名称に初めて出会って少し色めきたったが、どうもその意味するところは有名な他人の著作を復刻したということらしい。私のように、自作を小規模に印刷・製本・出版したのではない。もちろん復刻と言っても、現在のようにコピー器機が発達していたわけではなく、新しい版木に新しい文字を刻んだということであろう。
 文献学というのは、そういう歴史的過程を丹念に追ってゆく学問なのであろう。内容にかかわる局面が大部分であろうが、直接に本という<もの>にもかかわるので、はまれば面白いだろうな、と思う。いま文献学と分かったようなことを言ったが、しかしその範囲はどこからどこまでなのか、分かっているわけではない。さらに文献学(Philologie)と書誌学Bibliography)はどう違うのか。大急ぎで百科事典をしらべてみた。大筋、以下のようになっている。

  • 文献学(Philologie)=文献の真偽の考証・本文の確定・解釈などを行い、民族や文化を歴史的に研究する学問。書誌学との関連が深いことから、その意に用いられることもある。
  • 書誌学(Bibliography)=図書の成立・発展や内容・分類などに関する一般的研究と、図書の起源・印刷・製本・形態などについての考証的研究がある。

 この説明を読んだだけでも、二つのものが互いに密接に入り組んだものであることが分かるが、乱暴に言ってしまえば、書誌学の方が本という<もの>に直接かかわる割合が多いのに対し、文献学の方はより内容に及ぶ学問と言えるのかも知れない。時おり目にする「テキスト批判」とか「原典(本文)批評」つまり Textual Criticism は、文献学の主要な方法論というわけである。
 こんなことは学問論のイロハであろうが、時おり頭を整理する必要があり、恥を忍んで整理してみた。ついでにこれに付随したもう一つのことを確認しておきたい。それは人文主義(humanism)との関係である。これは狭義には、ギリシア・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動、また、その立場をいう。 
 こう考えると、狭義の人文主義とは要するに文献学を哲学・思想にまで広げたルネッサンス期特有の精神運動と言い切っても間違いないであろう(広義の人文主義、つまり世に言うヒューマニズムまで広げると問題が複雑になるので、この際無視する)。
 暑さが少し遠のいて、いよいよ実りの秋がやってくる。だからというわけではないが、錆付いた頭を少しすっきりさせておこう、と今夜のおさらいとなった。面白くもない話につき合わせて申し訳ない。明日はもっと楽しい話をしよう(ほんとかな)。                

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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