夢は長い間見なかった。見たのかも知れないが思い出せるような夢は見なかったと言い換えてもいい。ところがどうしたことか、最近はよく見るようになった。でもよく考えると、夢というものは不思議なメカニズムを持っている。日中経験したことが潜在意識に記憶され、それが睡眠中に出てくると思われているが、そうとは言い切れない。いや、きっかけはそうかもしれない。しかし夢はそれ独自のメカニズム、それ独自の文法で展開される。
もっと正確に言えば、世に言う夢占いやフロイトの夢判断では解釈しきれない、もっと得体の知れない世界だということだ。漱石の「夢十夜」や百閒の「冥途」などの面白さもそこにある。そんなむかしの作家のものでなくとも、島尾敏雄の夢に傾いた作品など、目を開いて書かれた作品以上に面白い。夢の世界を描写していると分かっていながら、不思議な臨場感というかリアリティーを感じる。
もちろんそのリアリティーは現実世界のそれとは違うリアリティーである。白昼世界の約束事や因果関係が通じないところのリアリティーである。
…とこう書きながら、今朝方ありありと見た夢のことを書くきっかけを探していたのだが、今回はうまく書けそうにもないことに気づき始めている。夢を描写するにはそれ相応の訓練というかテクニックが必要らしい。現実世界のことでさえうまく書けないのに、夢の描写にまで手を広げるのは無謀である。それは分かっているのだが、今朝方の夢はそれだけ魅力的だったわけだ。それなのにいざ書く段になって、この体たらくだ。
次の機会を待つことにしよう。
昨晩から真冬並みの寒さである。猛暑のときは文句たらたらだったが、今となってはあの暑さが懐かしい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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