我が家のアーカイブツ

一昨日の夜、バッパさんは眼科医院に一泊してきた。詳しいことは分からないが、以前やった白内障の手術の後、上まぶたが少し垂れ気味になるので、「ちょこっと手術」するとのこと。本当は家内が付き添うはずだったが、その前日、夕食時にまたまたつまらぬことから喧嘩となり、「そんな可愛くねえばーさんの付き添いなんかさせられっか」「あ―、いっこうにかまねー」となった。
 実はその日も、朝から大正琴を持って出かけた。障害者ホームとかに慰問に行く(?)が送り迎えはいい、と言う。確かに時間になると時々車でやってくるどこかのおっちゃんが来た。さてその日の夕食のときである。話がたまたま先日の事件に戻ってしまった。
 お金の事で恥ずかしいのだが、立て替えてやったお金(十万円)を返すからと家内に持たせて寄越した袋の中には、何度数えても八万しかない。
 「バッパさん、こめけこと言うようだが、ここには八万しかねーど」
 「そんなはずねー。ちゃーんと数えて入れたど」
 「だって、ほら見ろ、八枚しかねーべ」
 「ぜったい十枚入れた、それもほんの数分前だどー。なんぼ年寄りだって、そこまではボケねーど」
 「そんじゃ間に立ったY子か俺が盗ったということか」
 「そんなこと言ってねー」
「言ってねーたってそうなっぺーっ」
 それから話はどんどんエスカレート、九十のばーさんに慰問受けて喜ぶ人なんかいるか、自分が健康なことを自慢したいだけだべ、とまで言うはめになった。いや、責任逃れをするつもりは無いが、彼女と話していくと、いつもエアーポケットに入る具合に、「…というはめになる」のだ、不思議なことに。
 もちろんその時も彼女の思い違いで、炬燵の中から二枚の万札が見つかった。でもバッパさんは、その明らかな事実を前にしても絶対に自分の思い違いを認めようとしない。
 「いいかバッパさん、トリックでも奇蹟でもねーべ、自分では入れたつもりでもぼっとで [誤って] 落としたんだべー」
 つまりその夜も話がそこに戻ってしまったのだ。バッパさん的には今でも「納得いかねー」と言う。
 「納得いかねーのはこっちだべ、これ認められねえなら人間でねーど」
 娘がいつも見るテレビ番組に、古い日本を綴る「アーカイブス」というのがあるが、我が家にも「アーカイブツ」が元気に棲息しているのだ。ところでこのあーカイブツさんの年末スケジュールはどうなってんだべ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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