修道日記(1961-1967)

論文はもちろん、日記や手記、モノディアロゴスなど、文字に残した父の精神史は、父の生涯追求したものを考えれば、その価値は決して低いものではないだろう(いや、世間が見向きもしなくても構わないことだが)。父は自分が文章にしたものはすべて公けにしてほしいと願っていた。未熟さや過誤を含めたものこそが真実と思っていたし、それを知ってもらうことにおいてこそ、生きたことの証としたかったのである。特に日記のような断想的なものにこそ、オルテガの言った「内-歴史」のような人間の最も重要な本質が秘められているのだと思う。だから、思想家の端くれとして真剣に生きた父の息子としては、可能な限り、それらの文章をデータ化して、心ある人々と分かち合うことが責務だと思っている。とりあえず何としても成し遂げねばならないのは、特に初期の日記の公開、そのためのデータ化である。手書きなので、なかなか文字に書き起こすのは難しそうである。でも、やらなくては仕方ない。

「いやなこと、不快を感じる時こそ、かえって笑顔で人の前に出よう。たえざる自己滅却。どんな他人からの無視、ぶじょくも心良く!」
1961年の日記①
振り返れば、常に父はそのようにしていた。また大きな試練に直面すると、ふつうは誰もがうちに縮こまってしまうところを、かえって攻めの姿勢に転じ、まったく別の側面から思い切った行動に出て、事態に抗おうとしていた。それは最後まで続いた。

1961年の日記②
「パパは本気で聖人になるつもりで(身と心を
捧げて)修道生活を送っていた」と度々語っていた。
1961年の日記③
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