論文はもちろん、日記や手記、モノディアロゴスなど、文字に残した父の精神史は、父の生涯追求したものを考えれば、その価値は決して低いものではないだろう(いや、世間が見向きもしなくても構わないことだが)。父は自分が文章にしたものはすべて公けにしてほしいと願っていた。未熟さや過誤を含めたものこそが真実と思っていたし、それを知ってもらうことにおいてこそ、生きたことの証としたかったのである。特に日記のような断想的なものにこそ、オルテガの言った「内-歴史」のような人間の最も重要な本質が秘められているのだと思う。だから、思想家の端くれとして真剣に生きた父の息子としては、可能な限り、それらの文章をデータ化して、心ある人々と分かち合うことが責務だと思っている。とりあえず何としても成し遂げねばならないのは、特に初期の日記の公開、そのためのデータ化である。手書きなので、なかなか文字に書き起こすのは難しそうである。でも、やらなくては仕方ない。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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