専門馬鹿

今日もいつものように夜の森公園を散歩した。
 公園は町の西方にまるで出べそのように突起した小さな丘、その坂道を妻の手を引いてゆっくり登っていく。ロータリーの中央にあった幼い姉と弟の像は、この間の地震で倒れたのか、跡形もなくなくなっている。そのうちどこかで修理されて、また台座に戻るのだろうか。
 一巡して石のベンチに腰を下ろす。適度なほてりを、さわやかな微風が冷やしてくれる。そうだまだ五月なんだ。いやもうすぐ五月が終わるんだ。今年の春はどこに行った? 足元に蟻んこがなにやら忙しそうに行ったり来たり。ここは丘の上、25キロ南から放射能は飛来したか。蟻んこが歩いてるその土は、いったい何マイクロ・シーベルト?
 微量の放射能はむしろ健康にいいと、元東電会長はほざいた。あいつの口から言われるとごせやける(腹が立つ)けれど、でももしかして本当かも。ほらそこ行く蟻んこ、放射線の埃を浴びてもこもこ歩いてる蟻んこは被曝してどう変わった? 黒い精悍なボディー、もしかするとその艶は?
 今日も妻の顔は明るい。最近はどんなにもたついても、いらいらすることは止めた。たぶんずっと。靴が履けたり、階段を昇りきったりしたら、うーんと褒めることにした。スリッパの前で戸惑っても、いまなら何十分でもにこにこ待つことができる。いま頭の中の線が繋がらなくとも、そのうちピタっと繋がるのを待つことができる。
 その妻も、蟻んこを見ている。蟻んこはマウスのように実験昆虫になることができるだろうか。昆虫はなれないって?昆虫じゃないけれどメダカは、宇宙メダカとして貴重な実験に使われてるよ。じゃメダカさんに頼もう。放射線をどれだけ浴びれば健康に害になるか、その閾値を見定める実験台に上ってもらおう。
 そういえばこの間、宇宙飛行士の若田さんと野口さんが被災地の子供たちのために講演に来たそうな。地震や大津波のことを忘れるには、思い切り地球を離れて、広大な宇宙の話をするのはいいかも。でも本音を言うと、宇宙の話よりか、この地球という星の大切さを改めて話してもらいたかった。
 宇宙ロケット開発に結集している現代科学、その最先端を行く科学者さんたちにお願いしたい、どうかその知恵を放射線医学のために使ってください、と。いつまでもとは言いません。たとえ廃炉にもって行っても、放射線を被曝した子供たちのことは、あと十年以上はしっかり見届けてやらなければならないのですから。
 日差しが強くなったので、木陰に入るように妻と少しベンチの上を移動する。この陽光の温かさ、足元をくすぐる微風、これは正に現実、この間の小出助教が言うように本当は放棄しなければならぬ土地などではありません。この紛れもない現実を否定する奴はだれでもいい、まずここに来て、この大地の上に立ってみてくれ。これが夢か?これが蜃気楼のようにいずれ消え去る幻か? いやいや紛れもない現実そのもの。
 小出さん、だまされたと思って、一度この夜の森公園に来てみて。そしたら、参議院であんな演説ぶてないはずだから。
 最後にオルテガという現代スペインの優れた思想家が、その著『大衆の反逆』で言っている言葉を引用させていただく。いわゆる科学者さんたちには少々耳障りな言葉だけれど。

今日、かつてないほど多数の《科学者》がいるのに、教養人がずっと少ない

 それを私はこう解説したことがある。真の教養とは「事物と世界の本質に関する確固たる諸理念の体系」(『大学の理念』の中のオルテガの言葉)、あるいはそれを積極的に求めようとする努力であるしかるに現代の科学者は、おのれの専門領域については豊富な知識を有し精緻な思考を駆使するが、それ以外に関してはまったくの無知をさらけ出す、と。
 そう、今回の事故のあと、たくさんの科学者が出てきたが、いずれも専門馬鹿に近い。だから彼らに向かっては、馬鹿な政治家に対してと同じく、「ケ・トント!」と叫ぶしかない。さあ皆さん御唱和願います、はいっ、ケ・トント! はいっもう一度、ケ・トント!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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専門馬鹿 への1件のコメント

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    台風が近づいて来ており、空気が冷えてきました。先生、奥様、風邪など体調にお気をつけ下さい…。
    最近科学者、学者さんのコメントを読む機会が増えました。専門知識を持たない私は一喜一憂しますが、正しいのか否か分からないです…。聞き過ぎるのはかえってマイナスなのか、親としてあらゆることを収集すべきなのか悩んでいる毎日です。
    話しは以前の話題に戻りますが、何日前かblogにありました宗教と原発についてです。いわきにあるグローバルミッションセンター平キリスト教会は平のボランティアセンターとして教会の方々100人くらいが炊き出しや瓦礫撤去されているそうですが、反原発を掲げている教会だそうです。正直、教会ではっきり反原発を言っていることに驚きました。その辺りを曖昧にするのが教会だと思っていましたので…。
    私自身はこのような状況で、神や人生をどう捉えているのか宗教者の方々に聞きたいのですが、私の周りの教会員の方たちは祈りによって平安を得られる、奇跡を信じる、御心を受け入れると言われ、共通の言語で話していない気がしました。以前謎のままなのです。
    告白しますと私は震災直前に信仰を無くしつつあったクリスチャンです。今は行ってません。

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