オデュッセイア号の一時帰港

南相馬市警戒区域の住民たちの一時帰宅と歩調を合わせたわけではないが、わが家でも、十和田に行ってた息子の一家が三泊四日の予定で今日一時帰宅をした。あちらを朝の十時半ごろ出て、こちらに着いたのが夕方の六時半だから、約八時間のドライブである。息子たちがあちらで購入した軽自動車ではなく、長旅には楽な、兄神父の例のオデッセイ号で帰ってきた、つまりオデッセイ号の一時帰港である。
 ブログで確かめてみると、「オデュッセイア号の船出」を書いたのが三月二十七日だから、ちょうど二ヶ月ぶりの帰港となった。十和田市では南相馬からの避難者としてなにかと親切にされ、船出時に密かに期待していたように、来年三月末までの期限付きながら、来月一日から市の臨時職員の仕事を世話していただくことになった。まことにありがたいことで、息子の自立への船出が現実的なものとなったのである。
 もうすぐ三歳になる愛は、二月見ないうちに背も体重も増え、抱いて階段を昇ろうとして危うくこけるところだった。言葉もかなり増えている。耳がいいらしいので、じいちゃんの希望である日本語と中国語のバイリンガルになることも容易だろうし、絶対音感の持ち主だったら、ピアノをやらせようなどと思っている。友人のピアニスト菅祥久氏は将来レスナーを引き受けてやると言っている。
 そうだ、ついでに宣伝しておかなければ。この菅さん(首相のカンじゃなくてスガと呼ぶ)がヴィオラの川口彩子さんと、6月19日、四谷区民会館で東日本大震災のためのチャリティー・コンサートを企画している。趣旨に賛成して他の音楽家も協力、総勢11人(ピアニスト3人、声楽5人、ヴァイオリ二スト1人、オーボエ奏者1人、ビオラ1人)の豪華な演奏会になりそうだ。残念ながら私は行けないが、皆さんお近くでしたらぜひ足をお運びください。演奏曲目などは間もなく私のところまで送ってくれるそうなので、そのときは改めて紹介させていただきます、よろしく。
 ところで三歳児の理解力や記憶はどの程度なのだろう。私の場合、その頃の記憶は皆無といってもいい。辛うじて残っているのは五歳くらいからのものではなかろうか。電話で話してきたからじいちゃんばあちゃんのことは忘れてはいなかったが、でも最初のうちは恥ずかしそうにしている。徐々に記憶がもどってきたのか、それからは一気呵成に二ヶ月前に戻っていった。夕食後は、以前と同じく二階の祖父たちの居間に来て、BSで録りためていた中国映画『小さな赤い花』(全寮制の幼稚園を舞台にした異色作)を見たがった。初め「フアン・シャン・シャン」という言葉を繰り返すので何のことか分からなかったが、主人公の男の子の名前「方槍槍」であることをやっと思い出した。それにしてもこんな小さいのに、中国語の発音の綺麗なこと、などと、さっそく親ばかならずじいちゃん馬鹿ぶりを見せて申しわけない。
 再会初日、たぶん愛も今夜は疲れてぐっすり寝るだろう、じいちゃんの方もご同様だ。美子もいつもに増して上機嫌。原発事故のことなどすっかり忘れた幸いなる夜だった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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オデュッセイア号の一時帰港 への1件のコメント

  1. 三宅貴夫 のコメント:

    京都から、おはようございます。

    原発事故、住み慣れた故郷を追い出された人たちをみていると、現代版「流浪の民」でないかとも思います。強制的に土地から切り離され、いつ帰れるともわからない生活を強いられています。この今日の日本に、こうした人たちが居ることが、未だ、にわかには信じがたいのです。シューマン作曲で有名な合唱曲「流浪の民」(原題はZigeunerlebenで、昔は「ジプシーの生活または人生」、ジプシーが差別語して、今は「ロマ人の生活または人生」の意味)の歌詞の一節は以下のとおり(汎用されるこの石倉小三郎訳はかなりの意訳または異訳)。

    東空の白みては夜の姿かき失せぬ
    ねぐら離れ鳥鳴けば、
    いずこ行くか流浪の民
    いずこ行くか流浪の民 
    いずこ行くか流浪の民
    流浪の民

    「いずこに行くか避難の民」

    再び放射線の話
    20ミリシーベルトは1ミリシーベルトに下げられた。
    私には、政治的メッセージのように聞こえます。
    これは学校だけの話、合計すると10ミリシーベルトくらいになるらしい。
    20ミリと10ミリと1ミリとどう違うのかの説明がありません。
    さらに何故1ミリであって、0.5ミリではないのでしょう。
    「少なければ少ないほどよい」というは、一見正しく、分かりやく、聞こえはよいが、根拠曖昧で実現するための具体性が示されていません。
    ますます、生活を制限してよろしいのですか。
    せっかくの成長盛りの子供たちが、校庭で、山で、川で、海辺でのびのびと遊ばなくてよろしいのですか。
    もっとも福島原発のすぐ傍は避けた方がよいでしょう。
    放射線測定器を買って測っている人が増えていると聞きます。
    放射能の基礎知識、器機の機能、測定方法、値の解釈も知らないまま、数値だけが独り歩きしそうです。
    いっそうのこと、全国民に放射線測定器を無償配布したらどうでしょうか。
    もっとも65歳の私は要りません。

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