愚劣というよりぐれーつ

ここ数日、ブログを書かない日が続いた。体調を崩していたわけでも、なにか事件(まさか!)に巻き込まれていたわけでもない。強いて言うなら、疲れが溜まっていたのか。椅子に坐っても尻の骨が痛くなるというのか、まるで自分の体をもて余していた。体重が増えたせいかも。以前と較べて食事の量が増えたわけでも、とりわけ栄養分の多いものを食べているわけでもないのだが、ここ二月ばかりの間に2キロぐらい増えた感じ(部屋を出たすぐのところに体重計があるが計る気にならない、恐くて)。
 でも繰り返すが、どこが悪いと言うわけでもない。月一度のクリニックでの検診(血液検査など)でも、特に数値などの悪化は認められない。まあ簡単に言えば、いかに鈍感な私でも、さすがにこの半年ばかりの閉塞状況の影響がようやく体に反映してきたということだろう。
 書かなかったが、しかしずいぶんとしゃべった。今日も東京から客人二人(スペイン語の教授とスペイン人研究者)を迎え、久し振りにスペインの風(風邪ではない)に当たった気がして爽快であった。もっとも我が家の二階居間は古いクーラーがほとんど意味がないほどの暑さだったが。
 数日前のもう一組の来客(何と大阪から)との会話と合わせて、折を見て改めて書きたい思っているが、今日はとりあえず次の二つのボヤキを聞いていただきたい。
 一つは、先ほど通りがかりのテレビ画面で、ただ緊急時避難準備区域とだけしか眼に入らずそれがどこのことか見そびれたが、自衛隊員が避難訓練としてどこかのおばあちゃんを車だかに乗せるところや、ヘリコプターで病人を搬送する訓練を映し出していた。原発事故現場の方は収束に向かっているとばかり思っていたのに、今になっても緊急時避難を想定した訓練をする必要があるのだろうか。いや必要とあらばどうぞやってください。でも私はそんな訓練を持ちかけられても絶対に応じる気はない。好きでんなー日本人は、訓練や予行演習が。
 もう一つ。昨日二通の大きな封筒が送られてきた。私と美子宛の「県民健康管理調査」で、福島県・福島県立医科大学からの書類らしい。以前、そんな調査が行なわれると聞いたとき、あゝ無理ムリ!と思った。内部被曝を知るためには、3.11以後の自分の行動を逐次思い出して記述するというやつである。いや正直言ってシンドイ、メンドウクサイ。そうやってデータを集めることは、あとあとのためになる? あとあとって、何のあとあと? 日本の、あるいか世界のどこか将来起こるかも知れない事故の際に、そうしたデータの蓄積・分析が役立つ? 
 内部被曝が心配な人はどうぞしっかり調べてもらってください。そしてなにか異常が認められたら、しっかり治療してもらってください。この私も、いまのところわざわざ調べてもらう気はないが、でもなにかその兆候が見えたときはどうぞ手厚く調べ、必要な治療を受けさせてください。何? お上の言うとおりに調査に協力しないなら、治療もしてくれないとでも?  いやいやそれはないべさ。あんべえ(按配)が悪くなったら、がたがた言わずに診てくださいよ。
 ともかく3.11以後のこといちいち思い出すなんて、単純にいやなんだわさ
 ともかく、いまの日本、よほどおかしな国になってねえかい? なんとか大臣の失言・辞任騒動だって、馬鹿なことを言う大臣も大臣だけど、失言を手ぐすね引いて待ってる報道陣や対立政党の面々はそれ以上にアホと違う? 自民党の石原幹事長(でしたっけ?)は、青森かどっかで「万死に値する」なんて吼えたらしい。いやー時代錯誤も甚だしいこの言葉遣い、事大主義と言ったらいいのか、埴谷雄高大先輩の言い方(「平和投票」)を真似れば、愚劣というより「ぐれーつ」でんなあ。


※付け足し(蛇足)

 今はどこもかしこもデータばかり。学校も正にデータの山。だからときどきフロッピーに入れた成績記録を失くした、といって大騒ぎ。ついにはその地の教育委員長が出てきて、テレビの前で深-く頭を下げての謝罪パフォーマンス。さあ、何秒頭下げっか計ってみっぺ、一秒、二秒、三秒…おっとまだまだ、いま上げっと早すぎるって文句出っとー。
 試みに病院に行ってみたまえ。まずレントゲン、CTスキャン。医者は現像したての極彩色で精密極まりない写真を見て、うーんこれは…ですなー、とくる。その写真、ミノルタ、キャノン、それともリコー製のカメラで撮った? いまいち鮮明じゃないなー、来年度の予算に計上してもっと精密に映るカメラにしよっと。
 今は診察室に入ってきたときの患者の顔色、態度、動作その他、要するに目の前にいる人間なんかほとんど見てない医者が増えてまっせ。精密な機械がないところで、たとえば未開地、戦場? ではまったく為す術もない医者たち。
 教育も例外じゃない。目の前の太郎君、花子ちゃんなんてより学力テストのデータが主役。今度の震災でも、病院だけじゃなく学校も施設も、データがなければお手上げ。いま目の前にいる患者、生徒、お年よりをどう扱っていいか分からない医者や教師や……あゝこの調子だとボヤキは終わりそうもない。もうやめたっと。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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