黄金色の夕陽の中を

初めはほんの小さな疑問からだった。つまり昨夜寝しなに、洗面所の電球が点かないのは、本当にコードがどこかで接触が悪いからなのか、それとも…と考えたことがきっかけだった。あの日の大地震にもこの陋屋は健気にも耐えた。一時は襖などの建て付けが元に戻らないのではと思うほど外れたり歪んだりしていたが、なんとかえってすべりが良くなったところもあるくらい。しかし洗面所のミラー上部の二つの大きな電球は点かなくなってしまった。それで応急処置として、他のところから短いコードの先に豆電球が附いたものを持ってきて、先ずトイレの電気を点けて明るくしてからコンセントに繋ぐようにしていたのだが、どうにも不便である。
 今朝方、昨夜の疑問を思い出して洗面所に行ってみた。壁から洗面台裏へと続くコードに異常はなさそうだ。しかしその時、もしや?と思ったことがある。つまり二つともが点かないのでてっきりコードの接触が悪いせいだと決め付けていたのだが、電球が切れているのでは、と思ったのだ。それで急いで寝室の電気スタンドを持ってきて大きな電球をソケットに入れてみた。点かない、ということは…そうだ切れていたのだ。ためしに電気スタンドの電球を洗面台上のソケットに入れてみた。点いた!
 たんなる思い込みから半年以上も不便な生活を続けてきたのだ。クヤジイー? いやそうでもない。つまりこれで生活上の難問を一つ解決した満足感の方が強かったのである。それで勢いがついたのか、これまで畳の上に放置したままだった本を鴨居の上にしつらえた本棚に戻す作業を少し続けた。ようやくその気が出てきたのだ。しかし見慣れぬ本が見つかると貞房文庫に登録済みかどうかを調べたり、破損していた本を幅広のセロハンテープで補修したりで半日がつぶれた。いやつぶれたと考えないようにしたい。これも余生を有効に過ごすための大事な仕事なのだ。
 ついでに言うが、帯やら栞が挟んであったら、すべて捨てることにしている。つまり挟んであった頁がそこだけ変色したり、埃が溜まってしまうからだ。
 つまらないことを書いているようだけれど、つまらないことを大事にしない人は大事なことも大事にできない。てなこと、今日たまたま見たNHKのスタジオパークで岡本夏生も言ってたようだ。いやー単なるバブルの落とし子、ボディコン馬鹿と思ってたけれど、彼女なかなか偉いでっせ。息継ぎなしにしゃべりまくるのには付いていけないけれど、言ってることは貞房さんに似てます。いやもしかして彼女の方が、エネルギッシュであるところで貞房さんを超えてる。
 十年間の潜伏期間を置いて奇跡のカムバック。その潜伏中も一向にヘタレることなく、その時にしかできない生活上の些事を大事に大事にやってきたと言う。偉い!このごろテレビでやたら予告宣伝されている元小説家の俗臭抜けきらない(そこがいいと言う人もいるんでしょうなー)尼僧さんよりよっぽど説得力があって、彼女の生き方を聞いているだけで元気が出てくる。今さら聞くまでもない内容の説法を有難がって聞くより、元気な彼女を見ている方がよっぽど…あゝ同じこと繰り返してるわい。いやそれほど感心したというわけ。
 彼女、屁でもない(失礼!)説法をする代わりに、被災地の子供たちのために集めたお金でぬいぐるみを買ったりサンダルを買ったりして、せっせと被災地まで運んで、一つひとつ手渡している。あのボディーラインや美貌(と自分で言ってるのもご愛嬌)を保つためにエステにもスポーツクラブにも行かず、生活の雑事(たとえば重い荷物を運んだり、駅の階段をつま先立ちで登ったり)をこなすことが即美容のためのエクササイズ(とは言わなかったか)にしてきたと言う。そう言えばこの私も、最近少し太り気味なのを止めるためにも、階段を昇り降りしながら、「これ運動、これも運動」と念じているのに似ている。そう、生活のための所作全てがこれエクササイズ。
 彼女、結婚願望なんてまったくないらしい、というよりマイナス百パーセントないと言う。好きな人が出てきたらどうする?と聞かれて、好きな人に対してはなおさら、こんなゴミ(収集癖の?)女が一緒になりたいなどと思うはずがないと喝破する。これもお見事! いや私自身は結婚したことを今まで後悔したことなど一度もないし、子孫を得ることは至上の幸福と心得ているけれど、夏生さんみたいな人(男でも女でも)いてもいいなーと思う。
 話はまたいつものように急に変わるけれど、■さん親子の話、嬉しくてなりません。■パパのこれからの長ーい余生、文字通り黄昏に、つまり黄金色に輝いてます。ブログの仲間みんなも大喝采をしてることでしょう。
 時あたかも二時間ほど前、上士幌の従弟と帯広を車で出発した健次郎叔父が、また例の明っかるーい声で電話を掛けてきました。今日これから苫小牧に向かい、明日の朝八戸から十和田のばっぱさんのところに行くところだ、と。これで四回目?だろうか。あちらも黄金色の黄昏の中を時速百二十キロ(おっとこれは追い抜きの時だけですよ)で吹っ飛ばしているらしい。愛する弟たちを迎えるばっぱさんの笑顔が今から眼に見えるようだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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黄金色の夕陽の中を への2件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    おはようございます。今日は子供達が楽しみにしている学校バザーですが、こちらはあいにくパラパラと雨模様です。外の天気は曇天ですが、先生のblogを読む私の心は先生の洗面所のようにピカピカっと明るいです。
    思えば春、暗い気持ちで過ごす私を「大丈夫。頑張れ」と背中を押してくれたのは先生のblogです。
    そして最近、「なぜこんな時代に生きているんだろう…。」と再びの暗い気持ちに突入し、人生に楽しい気持ちで向かえなくなっていた時、先生のblogで見つめた奇跡。
    そう、まだまだ人生思いがけない素晴らしいことが沢山あるはず、捨てちゃダメだ!と新たな励ましとなりました。
    私もこの数日の素敵な出来事に、目に温かな涙です。
    昔見た映画に「今をしっかり生きれない者は未来だって生きれない」というような台詞がありました。私も毎日の生活の些事を大事に、そして楽しみます。
    先生、そして、そこに集う皆様に感謝です。今日も元気が湧いてきた!です。
    追記;辻さん、今日も私は携帯から、です。PCを買うお金をケチっています。でも、いつでもblogを見れるという利点があるので、当分携帯です。

  2. beautiful sky のコメント:

     佐々木先生、ブログをご覧の皆様、この度はご迷惑にも関わらず、温かく見守ってくださり、本当にありがとうございました。そしてロゴジィ様、お元気でいらっしゃることが分かって、とても嬉しいです。途中参加の登場人物の私ですが、まるで映画のような出来事にビックリです。「ロゴジィ」っていうタイトルの映画、できませんかね?(笑)

     震災と津波直後のニュースで、小学生の女の子が、「今まで自分がどれだけ幸せだったのか、よくわかりました」と、答えていました。直接的な被害を受けていない私たちこそ、その言葉の重みをしっかりと受け止めなければならないですね。幸せの種類も度合いも、人それぞれかもしれませんが、私も「明日在るを信じて」、奇跡の連鎖が続くことを祈ってます。

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