「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で実施が延期された大熊町長選は20日、投開票が行われ、現職の渡辺利綱氏(64)=無所属=が、新人で元町議の木幡仁氏(60)=無所属=を破り、再選を果たした。任期は同日から4年間。
2003(平成15)年以来8年ぶりの選挙戦で、原発事故で住民が避難している現状から「町に戻って復興再生を目指す」と訴えた渡辺氏が「移住を進める」と主張した木幡氏を退けた。
投票率は68.34%で、03年の85.28%から16.94ポイント低下した。(2011年11月21日 福島民友ニュース)」
この記事を読んで、勝敗の行方は初めから分かっていたろうに、と思わない人はよほどどうかしている。「移住を進める」をスローガンにした木幡氏はまずいスローガンを掲げたものである。何年かかってもいい、おらほの村に帰るべ、と思わない町民などいるはずもないではないか。ともあれこれでまた現職町長の当選である。
自分たちの町、自分たちの生活しか考えないこれら町民たちは、今回の事故から何も学ばなかったというわけだ。原発のない町づくりを目指そうと主張する候補者がいなかったのだろうか。さらに双葉町の町会議員選挙では、現役の東電社員が町の復興だけを訴え、原発の存在そのものについては一切触れないまま上位当選を果たしている。彼は、わが町の復興は町民の皆さんと東電の力を合わせて進めなければ、などとぬけぬけと主張していた。今はさすがに原発とは言わず東電と言っているが、もちろんほとぼりが冷めればすぐに「原発」と言い換えられることは目に見えている。
「正しく怒る」ことの大切さを言い続けてきたが、こうした事態をみると、怒ってみてもどうしようもねーな、という深い絶望感に襲われる。
こうなりゃもう自棄(やけ)のやん八、軍歌でも歌いながら酒でもかっ食らおうか。軍歌? 言わずと知れた「麦と兵隊」よ、べらんめえ。
除染、除染とだれもが叫ぶ、
除染終われば住みよいか
思いあぐねて振り返えりゃ
原発夕陽に聳え立つ
あゝ無念の浜通り
替え歌考えるのもアホらしい。だれかこのあと続けて。俺、もうやんだくなった。