今日も寒いので美子は家でお留守番。最近は自分から立ち上がることをしないので、ちょっと買い物に行くくらいならかえって安心だが、でもやっぱり淋しいことには変わりがない。しかしこのところこちらから声をかけたときの反応が少しはっきりしてきたようで、もしかしてしばらくはこれ以上進行しないかも、と期待している。
ともあれ今日も一人でスーパーに行く。そういえばこのごろ例のサイヤにはとんとご無沙汰続きだ。面倒だが自分で炊いたご飯はやはりおいしく、冷凍パックのミックス野菜やブロッコリー、かぼちゃなどを豚肉と炒めるなどして簡単なおかずを作っている。コツは砂糖を上手に使うこと。
いつも果物コーナーでは小ぶりのオレンジや、やはり小ぶりの王林リンゴを買うのだが(つまり二人で分けて食べるにちょうどいい量なので)、今日は馬鹿にでかい梨が目に入った。梨の種類は二十世紀と長十郎しか知らないが、今日のはその長十郎の倍ほどの大きさの梨で新高というらしい。喩えは悪いが、そして食欲が減退するかも知れないが、そう、小錦のオシリを連想させるほどの大きさである。もちろん福島産。二つ入りのパックを買った。美子と私では一回に半分でじゅうぶんであろう。
家の少し前に大きな乗用車が止まっていて、無理をすれば通れないこともないが、他人の迷惑も考えてもらいたいと、クラクションを小さく鳴らしてみた。斜め向かいの家に来た人が駐車しているらしい。少し待ったが誰も出て来ないので、今度は少し大きく鳴らした。すると男が一人慌てて出てきて車を動かしてくれた。少し憮然とした顔で通り過ぎ、買い物袋を提げて車から出てきたとたん、その車の周りに四人ほどおばちゃんたちが出てきて今しも帰るところらしい。ところがそのおばちゃんたち、こちらを見ながら深い御辞儀をしてスミマセーンと大きな声で謝っているではないか。
いやー参った。急いで、大丈夫ですよー、などと意味の分からぬ返事をして家に入ったが、なぜか感動した。はっきり言えば、もう少しで泣きそうにまでなった。最近こういう謝り方をされたことがなかった。心から謝ることがこれほどまでに人を感動させるなら、私もこれから必要なときには臆せず大きな声で謝ることにしよう。
かつては市営住宅、今はMという人が賃貸住宅にしている六軒ほどの平屋は、この震災後、大半の借家人が他所に行ってしまい、たぶん今は市が復興作業などに従事している人たちのために一括借り上げているのではなかろうか。
もしかしてあのおばさんたち自身、その復興作業のために他所から来た人たちかも知れない。それなのに、車を停めていたくらいで機嫌を害した自分も情けないが、しかしそのおかげで(?)あのおばちゃんたちの謙虚でつましい人間性がその身なりや声音で伝えられることによって、喩えようもない貴重な贈り物となり、この瞬間湯沸かし器をしばしほんわかと温めてくれた。
人間て、そして生きてるってやっぱ素晴らしい!
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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