トルストイ繋がりで

 『江渡狄嶺選集』二巻本(家の光協会、1980年、第二版)が届いた。薄い空色の布表紙が上下一緒に箱に入ったものだが、少し迷った末、箱は捨て、上下を一緒にして背革をつけた。我が家に来た本の宿命である。上下ともそれぞれ300ページほどのものだから、さほどの厚さにならず、ちょうどいいくらいの手…確かほどよい重さのことを手なんとかと言ったはずだが思い出せない。
 背革に使った革は、半年ほど前、思い切ってジャンパーを解体したときの襟である。下巻の表紙にあった狄嶺自筆の題字の部分を切り取って背中に貼ったので、実に風格のある一巻本選集となった。ただし古本屋に売ろうとすれば二束三文に買い叩かれるであろう。だからだれも売る気にはならないだろう。
 彼が安藤昌益に傾倒する以前から大のトルストイ好き(つまりトルストイアン)であったことは短い紹介文で知っていたが、選集の中にもトルストイを論じた文章がかなり入っている。明治・大正の青年たちがロシア文学とりわけトルストイやツルゲーネフなどから深い影響を受けたことは比較文化論の格好のテーマであろう。ドストエフスキーは少し遅れて、しかし前者以上に甚大な影響を与えることになったについては、わが埴谷雄高大先輩の例でもはっきりしている。外国文学がそれほどまでに深く大きな影響を与えるなんてことは、これからも起こる現象なんだろうか。どうも文化の伝達・波及の質そのものの変化がありそうである。
 トルストイの名前に触れて、このところすっかり忘れていたやはり偉大な先輩のことを思い出した。ただし生前お会いしたことはなかったが、その方のご子息とはネットで繋がっている。といってその息子さんとも時たま挨拶を交わすだけではあるが。北御門二郎さん(1913-2004)である。その最初の出会いのことを2003年の二月二日に次のように書いている。

  

   ある徴兵拒否者

 朝起きたとたん、妻からスペースシャトル墜落のニュースを聞いた。だが亡くなった乗組員の冥福は祈るが、事故そのものにはいかなる同情の念も湧いてこない。以前、なぜ山に登るのか、という質問に、そこに山があるから、という答が大嫌いだという話をした。なぜ宇宙開発をするのかという質問に対しても、たぶんそこに宇宙があるから、という答が返ってくるであろうが、まったく同じ不快感を覚える。全く同じ? いやいや比較にならないくらいの不快感である。そうした答がなぜ説明を必要としないほど自明のことなのか。しかも、いま地球上には目を覆いたくなるような貧困と差別と戦禍があるというのに、およそ天文学的な額の金を使っての、国家の威信をかけた宇宙開発競争となれば、不快感を通り越して、どこにもやり場のない怒りがこみ上げてくる。
 《コロンビア》、もちろんコロンブスから取られた名前である。十五世紀末、キリスト教ヨーロッパは、異教と非文明の新大陸に、正しい宗教と輝かしい文明を持ち込もうとした。それに抵抗したインディオたちには、神をも恐れぬ不届き者として、天誅が下された。確かにスペイン人征服者たちは少し、いやかなり残酷に過ぎたかも知れぬ。しかしこれも人類の発展のためには致し方ないと見なされた。しかし征服そのものの正否を問う視点は、ごくごく少数の者以外、だれも持とうとしなかった。この人間理性への絶対的な信頼、傲慢不遜な信仰はどこから生まれてくるのか。
 午前中はそんなことを考えて気が晴れなかったが、昼食のあと何気なく見ていた古い雑誌(『サライ』2002年2月21日号)のページにふと目が吸い寄せられた。北御門二郎氏についての記事である。トルストイの翻訳家としても有名な方だが、その彼が「人殺しになるよりも殺された方がいい」と徴兵拒否をし、しかも無事戦中を生き抜いた人であることを初めて知って、それまでの暗い気持ちが一気に吹っ飛んだ。偉い先輩がいたものだ。89歳の彼の写真もあった。可愛いとさえ言いたくなるような素晴らしい笑顔である。
 彼に関する情報を求めてヤフーを検索。すると、なんとなんと彼のホームページが見つかった(地球をを大切に 自然と仲良く生きよう)! 実際は長男すすぐ氏が管理しているらしいが、今も熊本の山里にご健在。著書に『ある徴兵拒否者の歩み』があることを知り注文する。今日もインターネットのおかげで、新たな地平が広がった。  二月二日

 いつかお会いしたいものと願っているうち、残念ながらそれから間もなくして他界なさってしまった。息子さんのすすぐさんのサイト「自然と仲良く生きる」と個人で相互リンクを張っているのは、不肖わがホームページだけなのが、私の密かな誇りです。そのサイトには北御門二郎さんのことだけでなく、その衣鉢を継いで熊本の山の中で農園や児童書専門の本屋さんを経営されているご遺族のユニークな生活ぶりが報告されています。いま覗いてみましたら昨年の十月以降更新されてませんが、皆さんの訪問でまた動き出すかも知れません。ついでがありましたら、佐々木から紹介されて、と言ってくだされば嬉しいです。このページの右上にあるホームページからリンクのところに進んでいただければアクセスできますので、どうぞよろしく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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トルストイ繋がりで への3件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    段々と関東も寒さが厳しくなってまいりました。先生、奥様、体調はいかがですか?
    昔昔、私が小学生の頃、文学少女だった時期があり、ロシア文学に少しだけハマった時がありました。日本ともアメリカ、ヨーロッパとも違う雰囲気に何か感じるところがあったのでしょうか…。残念ながら今はサッパリです。本をまとまって読める時間が、いつになったら取れるのやら…です。
    北御門二郎先生のことは初めて知りました。今はPCが見れないのでサイトに飛べませんが、とても興味深く思いました。
    先生からいつも新しい知識の扉を見せて頂けるのが、このblogの素敵なところです!
    澤井さんは次に「カサブランカ」をご覧になったのですね。私はイングリット.バーグマンが大好きで「カサブランカ」は仙台の名画座にわざわざ見に行った映画です。昔の女優さんの品がある姿は本当にため息が出ます。
    美空さん、手稲出身とは本当にびっくりしました。たぶん同世代。どこかですれ違っていたとしたら、これも奇跡ですね!
    手稲山は私が住んでいた家から真正面に見えていた山です。とっても懐かしい気持ちになりました。
    道産子会、とっても楽しみになってしまいました。

  2. かとうのりこ のコメント:

    北御門二郎さんの徴兵拒否のエピソードがおりこまれた本を、半年前に読みました。
    梨木香歩「僕は、そして僕たちはどう生きるか」理論社 2011
    です。中学生ぐらいから読めるやさしい文章ですが、読みごたえがあり、
    何度も読み返して考えを深めたい作品でした。
    あちらとこちらと自分の中でつながったのがうれしく、ご案内まで。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    エトワールさん、初めまして。
     原町にまだご滞在ですか? 時間があればお寄り下さい。ところで柿の実が立ち枯れというか立ち腐れになる風景は、実は震災前からで、以前にはなかった光景です。昔は子供たち、いや大人たちも、竹竿で柿もぎをしたものですが、私が2002年に久し振りに帰ってきて、残念に思った変化の一つです。だからブログであの大量の柿を買い占めてなにか名物のお菓子を作る人が出ないだろうか、などと書いたこともあります。スーパーで売られてる柿が他県のものだけというのは何とも淋しいことです。

    奈々絵さん 
     いつもお気遣いありがとうございます。老夫婦、風邪も引かず何とか元気にしています。皆さんも風邪にご注意下さい。もっとも子供たちは風の子・風邪の子で、次第に抵抗力をつけていくのでしょうが。

    のりこさん
     梨木果歩さんの名前は初めて知りました。たぶんもうご存知かも知れませんが、北御門すすぐさんのサイトにメール・アドレスがありますので、ついでのときにでも教えて差し上げたらいかがですか。

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