…だけど

「愛した人は あなただけ ……
 くちづけをしてほしかったのだけど せつなくて 涙がでてきちゃう」

昨夜歌った、園まりの古い曲「遭いたくて遭いたくて」である。この歌の山場というか聞かせどころは、「…をしてほしかったのだけど」の「だけど」の直前部分をじゅうぶんにタメて、甘ったるく歌うところである。この歌を聴くと、1980年の夏、レンタカーを借りて家族連れでスペイン中を旅した時のことが思い出される。どういう選び方をしたのか今では覚えていないが、スペインに持っていったテープがキャンディーズと園まりのものだけで、道中、妻と娘が繰り返し繰り返し聞いていたからである。
 いやそんな昔の曲を歌うはめになったのは、毎晩大連の穎美(息子の嫁)に歌ってやる「日本の曲」が100曲を優に越えて、そろそろ歌える曲が無くなってきたからである。それにしても自分たちがこんなに歌を知っているとは、いや知ってるだけでなく歌えるなんて思ってもみなかった。今まで飲み屋などで歌うことがあっても、菅原なんとかの「今日でお別れ」とかフランク永井(?)の「おまえに」しか持ち歌が無く、それ以上歌わなければならないときには、スペイン語で「ベサメ・ムーチョ」をぶちかますしかなかったのに、である。
 それもこれも、きっかけは大連の嫁を元気づけるためであったが、いつのまにか執念のような、使命感のようなものを感じ始めたのである。妻とのデュエットでもあり、そして何よりも受話器に向かってなのだから、馬鹿でかい声ではなく、じゅうぶん抑制された(?)、しかも情感のこもった歌い方をしなければならない。これがなかなか難しい。でも歌っていくうち、発声のコツみたいなものが分かってきた。要は呼吸法なのだ。
 もちろん歌詞だけ見て歌えるはずもない。歌詞もメロディーもすべてインターネットの「二木紘三のMIDI歌声喫茶」や「MIDI歌声広場」のお世話になっている。そのせいあって、これまで歌いたくても歌えなかった「昴」も西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」も歌えるようになった。上手下手は言うまい。でも先日来た教え子たちは、牧水の「白鳥の歌」を褒めてくれた。

「白鳥は かなしからずや 空の青 海の青にも 染まずただよふ」。

 ところでこの歌の聞かせどころは…すまん調子に乗ってしまったようだ…

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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