詩の光源としての死

同じ町に住む松永章三さんという詩人から新しい詩集『天崇』をいただいた。失礼だがいわゆる詩集という感じがあまりしない、どこかのPR誌と間違われそうな装丁の詩集である。しかしお礼状を出す前に一応はさらっとでも読まないと、と思いページをめくっていくうち、胸の中で靜かに、しかし強く共鳴するものが生まれ、それがじわりと広がっていった。すると最初は素朴というか、いささか生硬に見えた言葉や表現までもが、いつのまにか過不足なくそのところを得た凛とした詩のことばに変わっていた。
 詩を読まなくなってから久しい。詩や詩人に対する密かな偏見がぬぐい切れないからか。俳句など短詩形の詩によく見られる、省エネ詠法、つまりことばや表現をぎりぎりまで彫琢する労を厭っていい加減なところで切り上げ、後は読む人の深読みに期待するといったズルさが好きになれなかった、とでも言えばいいだろうか。そんなことなら、まずとことん言葉で表現する努力をしてみろよ、もうその先は行けないというところまで苦しんでみろよ。
 でも松永さんの詩を読んで、真っ先に感じたことは、若さである。まるで青年、いや少年といってもいいような瑞々しさである。お会いしたときの印象でも私よりかなり年長でいらっしゃるのに(著者略歴によれば1924年生まれ)、その若々しさはどこから来るのだろう。おそらくそれは、一切の夾雑物やら付加物が除かれた裸形のことばが実に自然に置かれているからかも知れない。

              石

          石に惹かれる日です
          小も大も
          どの顔も
          億年の表情で
          足りています

 このしゃりしゃりとした肌触りの言葉は、生来のものか、それとも長い修行の末のものか。さしあたって今そのどちらかに決めることはできない。ただ私の胸のうちで何かがはじけたのは愛妻の死をめぐるいくつかの詩篇を読んだときからであり、それが彼の詩の強力な光源であるらしいと気づいたときからである、とは断言することが出来る。
 「序」を寄せた■氏は松永さんの詩をいみじくも「教会カンタータ」と評したが、「亡妻との死期の床の約束で/じぶんなりの死後のイメージを持てた」(「死後学辞典」)詩人に心からの共感と賛辞を贈りたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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