朋あり遠方より来たる

昨日昼過ぎ、予定より早く東京からS先生とI 先生が車で来てくれた。S先生は昔から四輪駆動車を実にうまく運転する。当初の予定では、途中、六号線を左折してすぐのころにある「ジャスト」という量販店の駐車場で落ち合うつもりだったが、二度目のケータイがかかってきた時点で、すでに家のすぐ側まで来ていた。つまり彼はナビゲーターを持っていたのだ。約一年半ぶりの再会である。
 大して疲れていないというので、今度は私の車で二人に町を案内。といっても特に見せるものはないので、とりあえず野馬追会場の雲雀が原に行き、ついで今はもう海水浴場としては廃れてしまった渋佐の浜に連れて行く。遠くの方を北海道に向かうフェリーか、薄い陽光を浴びながら白く輝く船体を見せてゆっくり動いていく。貨物船がすれ違う。小さな漁船が沖合いを目指している。まさか海水浴客はいないと思っていたら、砂浜に水着を着た女性が二人、一人は赤ちゃんを抱っこして遠く砂浜を歩いている。と思うと、遠浅の沖合いに一人サーファーらしき黒いウエットスーツが、孤独の挑戦をしている。久しぶりの潮の香り。
 帰宅後昼寝をしてもらい、五時ごろから早めの夕食の準備。数少ないレパートリーの中から、今日は(も)パエーリャもどき。先日Uさんから貰ったスペイン土産のサフラン(もどき?)の粉末を入れて、辛うじてパエーリャらしきものに仕立てる。味もまあまあにできあがった。
 ビール、ワイン、日本酒を飲みながら、大学の現状など話題はつきない。大学教師受難の時代だけれど、負けないで生き抜いてほしい。
 今日は朝食後少し休んでから、友人宅にあずけた息子さん(中二)を連れに秋田にまわって帰るS先生を、これまた定番の日立木百尺観音までみんなで送っていく。帰宅後今度は3時の電車で帰京するI先生を、美子と見送る。
 ところで百尺観音入り口で食べたダッタン蕎麦が意外に美味しかった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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