今年最後の大熊訪問。途中六号線沿いでホッキ飯を出す店に寄る。娘は別のものがいいと言うので、妻と私でホッキ飯一人分を注文。予想が当たった。つまり一人分というのは、私たちにとって二人で充分な量なのだ。ホッキ飯に限らず、田舎では東京の1.5倍から2倍の量が出ると思って間違いない。満腹での運転は眠気の関係でちょっと危険だが、今日は出発前に少し朝寝をしたので無事大熊に到着。娘が来るとは思っていなかったので、義母大喜び。今度来るのは1 月10日だけれど、それまで元気で年を越して欲しい。ミニチュアの門松みたいなものをコンビニやスーパーで探したがなかったので、いちばん小さな松飾を持っていった。
 帰ってみると、恩師K先生の奥様から宅急便が届いていた。8月に40歳で亡くなったYさんを記念するサグラダ・ファミリアの陶板とお菓子が入っていた。愛する夫を亡くされ、いままた長男に先立たれた奥様のことを考えると、底深い悲しみに襲われるが、奥様ご自身、これまでの時間をどのように過ごされてきたか、想像を絶する。ただ少しずつ立ち直っておられるご様子がわずかに窺えるお手紙だったので、いくぶんほっとした。
 Yさんは大学教師を辞めて外尾氏のようにサグラダ・ファミリアで彫刻師として働くのが夢だったことを、今度のお手紙で初めて知った。残念至極だ。無念の、早すぎる死だった。ただ奥さんと小さな忘れ形見が、奥様と同じ家に住むようになったらしく、それはそれで嬉しいし安心できることなのだが、でも悲しみから立ち直らなければならない日々の闘いのことを考えると、またまたやり場のない無念さに襲われる。何もできないが、せめては残された日々、彼女たちのことをいつも想って行きたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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