不和の種

※いちばん下の追記をご覧下さい。

このところ、重要な決断を迫られることがいくつか、それこそ踵を接して出来し、いつの間にか一日が過ぎているという日が続いている。もちろん出かけていったり直談判するなどのことではなく、すべて文明の利器パソコンを通じての対応だが、それでも気持ちの上では直談判と同じくらいのエネルギーを消耗する。しかしそのうちの一つは既にご報告したとおりめでたく終結した。
 さて他のいくつかの事案(と、お役所言葉で濁すしかないが)が解決しないうちに、今日も一つ厄介な問題が持ち上がった。他人から見れば、何をそんなこと、と思われそうなことではあるが、私から見れば実に重要な問題を孕んでいる。
 風邪で二日ほど休んだ愛が今日はめでたく幼稚園に出かけたのだが、園から変なものを渡されて帰って来た、らしい。変なもの? いや私からすれば無用の長物というより迷惑千万な物だが、世間の人には重宝され、今やその製造元はほくほく顔の、それなーんだ? これだけのヒントで分かるはずもないが、線量計である。
 もちろんそれは若夫婦の領域(?)で私は実物を見たわけではないし、見る気にもならない。息子の説明によると、それは市のライオンズ・クラブからの寄付らしく、全園児に渡されたらしい。これってありがたいことじゃない? 何か文句あるの?
 それが大いにあるんだなー。つまり寄贈されたものがガムやチョコレート、粉ミルクだったら(あれあれまた古いもの持ち出して、お歳が知れますなー、ララ物資じゃあるまいし)有難いが、線量計はちと問題である。つまり小さな子のいる家庭にとって、それはある意味で危険物なんですわ。つまり毎日線量計でそこらじゅう計りまくっている家には今さら不要であろうし、公の機関が毎日測定してくれている数値を信用して、あとはもうそんなこと気にしないでともかく子供が元気に育って欲しいと願っている家庭、たとえばわが家などにとって、それはまったく迷惑千万な代物なんですわ。
 そんなものわが家では不要ですから、と返せばいい? いやそこがちょっと複雑でんな。たとえばですよ、私だったら、おやこれがあの有名な線量計? ふーん、と手に取りますわな。じゃちょっくら家の周りでも測ってみよか、となりますわな。いいですよ、ここまでは。しかし人間、欲が出てきます。ともかくタダで呉れるというなら、もらっとこかー、となるわな。
 ところがそのうちその器械が、いやもとい、線量そのものが気になり始めます。便所の裏手あたりが台所のドアのところより、0.02マイクロシーベルト高い、いやもしかして玄関脇の雨樋下には放射能が溜まってるんじゃないかしら…知らず知らずの内に意識がどんどん線量計に向かい始める…
 いつも言うように、これがペスト菌とか猛毒のサリンや炭疽菌なら気にしたり調べたりするのはいいですが、相手は放射線、つまり南相馬のここいらのように線量の低いところでは、たとえば便所裏に一日五時間も六時間もべったりいるなら問題ですが、ゴミ出しの時に側を通るくらいなら50回、100回、いやもっとかな、通ってもそれこそまったく心配ないんですが、下手に機械を手にしたばかりに、以後気になって気になってしょうがありません。
 福島や郡山で子供の通学路を毎日線量計で測っていたあのお母さんたち、まだ毎日続けてるんでしょうか。たぶんバカらしくなって、というか疲れてしまって、もう止めてると思いますよ。
 わが家でではそんなことになりませんでしたが、おそらくかなりの家では今日の午後あたりから、その器械をめぐって、大げさに言えば家庭不和の種が蒔かれたと思いますよ。
 「ねえあなた、聞いてるの、あのね、家の裏のあの空き地ね、今日測ってみたら、0.35よ」
 「なんだよ、俺疲れてるんだよ、0.35ってなんだよ」
 「あなた、子供の将来のこと本気で心配してよ!」
 この即興独演会もアホらしいが、南相馬の子供のいる家はかくのごとく、日々戦々恐々と生活している。そしてこうした不和やストレスが放射線以上の害を与え続けている。家庭の意向を聞かずに線量計など配らないで欲しい。
 長くなったので、まとめて言うと、実は今日の午後、このお節介爺さんは幼稚園の先生に電話をした。もちろん優しく丁寧な声で。「愛の祖父ですが、いつもお世話になっています。今日、愛が線量計をもらって帰ってきたのですが、次回からこういうものは一括配布ではなく、各家庭の意向を聞いてからにしていただけません?」。すると直ぐ了解してくれました。「お説ごもっともです。次回からは必ずそうさせていただきます。どうもすみませんでした」
 お節介爺さんは次、今回の配布が市の教育委員会の意向を受けての処置だと気づいたので、さっそく教育委員会ホームページのメール書式に幼稚園へのお願いと同趣旨の書きこみをした。そしてどうぞ回答願えないか、と。今までのところは何の連絡もなし。でも爺さんはへこたれません、明日以降も回答があるまでしつこく問い合わせます、覚悟めされ。でも正直、爺さんチカレます、はい。


※二十五日の追記
 昨日は下手な即興劇まがいのものまで入れて大げさに主張したことでもあるので、その後に届いたまことに賢明かつ誠実な二つの返信をご紹介しないわけにはいくまい。相手方の了解を得ないままだが、内容が半ば公的なものでもあるので、この際ご寛恕いただきここに紹介したい。



平成24年5月24日

さゆり幼稚園

おわび

 
 先日「各園児の御家庭に…」ということで、市教育委員会より受け取り、配布させて頂きました“線量計”ですが、保護者の方々のご意向もうかがわず、教育委員会の指示通り、安易にお渡ししてしまい、申し訳ございませんでした。
 もし、今回お渡し致しました線量計が不要な場合は、どうぞご遠慮なく返却して下さい。
 今後は、外部からの配布物は、まずは保護者の皆様のご意向をおうかがいした上でお渡しするよう気を付けてまいります。
 大変ご迷惑をおかけ致しましたこと、心よりお詫び申し上げます。



平成24年5月24日

佐々木 孝様

南相馬市教育委員会教育長 青木紀男


 日ごろ、本市の教育行政各般にわたりご支援とご協力を賜り、深く感謝申し上げます。また、このたびは「教育長への手紙」をいただき誠にありがとうございます。
 昨年の原発事故により、放射線に対する不安から個人で線量計を購入する方が増えていることから、山口県中部地区のロータリークラブさまから「小さな子どもさんのいるご家庭に配ってほしい」ということで寄贈いただきました。このため、寄付者の趣旨を踏まえ、幼稚園・保育園を通じて園児のご家庭にお配りすることとしたものです。しかし、線量計を持つことに対して、佐々木様と同じようにお考えになる方も実際にいらっしゃると思います。
 したがいまして、今後もこのような機会があるかと思いますが、市民の皆様の考え方が一様ではないことに配慮した事務処理を心がけるとともに、子どもたちが安心して本市で暮らせる環境づくりに努めてまいります。
 貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。 

  

いままでこの種の提案・意見がまともに回答されたことが少なかったので、この二つの真摯で誠実そして迅速な(これも大切)回答を得て、実に爽快な気分を味わっている(杉作、南相馬の明日は明るいぞ!)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

不和の種 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     「数値」人間は数、数字との関わりで生きているのかもしれません。営業をしている人なら予算があり、前年比があり、スポーツ選手なら記録があり、これらは数字で表されます。東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取った円谷幸吉選手は記録が思うように伸びず、メキシコオリンピック開催の年に自ら命を絶ちました。先生より一年年下で、福島県出身です。円谷選手と接した人は、口を揃えて、まじめで責任感が強く礼儀正しい好青年と評していたそうです。円谷選手をここに持って来たのは、線量計の「数値」にナーバスな人がいるということです。「公の機関が毎日測定してくれる数値を信用して、あとはもうそんなこと気にしない」ことが賢明な選択だと私は思います。そして、線量計という言葉から思ったんですが、放射能を使うエネルギー開発は「数値」と深く関わり合いをもち、「数値」に多大に影響される人間にとって、改めてNOと私は言いたい。

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