庭の桜

迷ったけれど、結局、桜の木を切ってもらうことにした。今の大きさがもうぎりぎりの大きさで、枝がすでに屋根に覆い被さっており、そのため落ち葉がトタン屋根や雨樋を腐食させ、日照をさえぎって、家屋のためにはいいこと無しというわけだ。となると今年の春が見納めだったことになる。残念だが、いたし方ない。写真を撮っていてよかった。
 それはともかく、シルバーセンターから来た、先日と同じ顔ぶれの三人の見事な仕事振りよ。一人の小柄のおじさんは、大木に攀じ登って、チェーンソーを巧みに操る。こういう建物と建物のあいだの木の伐採は、野原のそれの四倍手間がかかるらしいが、なるほど、或る程度の長さの枝や幹にロープを巻いて、切り落とされたその部分を近くの窓ガラスなどにぶつからないように慎重に吊り下ろさなければならない。しかし見る間にあの太い大きな桜の木を処分してしまった。お見事!と言うしかない。おそらくは私より年上のそのおじさんたちが、実に楽しそうに、しかも迅速に仕事を片付けていくのには、ほとほと感心した。そして彼らが楽しそうに話す相馬弁の何と面白いこと! 相馬弁がこれほど可愛く聞こえたのは初めてだ。けっして乱暴ではない。柔らかで、無邪気で、しかも上品、と言えないまでも下品ではない。
 幸い、それほど暑くなく、風も少しあり、仕事をするには絶好の日和だった。明日は土曜、たぶん明日で、大工さんの仕事も、シルバーのおじさんたちの剪定の仕事もすべて終わるはずである。桜の木を切り落とした際、二階のトタン屋根の部分が腐食していて、早急に替えたほうがいい、と忠告された。この際だから、その部分も瓦にし、屋根全体の瓦も一気に替えることにしよう。いくらかかるか見積もりを出してもらうことにしたが、どちらにしてももうとっくに寿命がきていた瓦だ。思い切ろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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