卑猥な芸術は可能か

尊敬する先輩が主催者でなかったなら、「こんなもの芸術でも芸能でもねえぞー!場末のストリップ・ショー(実は見たことないが) の方がまだ上品だぞー!田舎だと思って馬鹿にすんなよー!」と叫んでいたかも知れない。「金返せ!」とも言いたいが、せこいと思われるのでそれは引っ込める。ともかく下品としかいいようが無い。これまた見たことは無いが、オナニー・ショー(そんなものねえか?) みたいなもんだ。だいいち気持ちが悪い。赤ふん一丁で等身大の女の人形ともつれ合う様は、ほんとヘドが出そうだった。こいつ明らかにとびっきりのナルシストだ。薄暗い舞台の上で、裸で女体ともつれ合う図、せめて肉体が美しかったならエロチックな美も醸し出されたかも知れないが、コタツの中で汗ばんでいる中年男の裸体みたいなものなぞ、ただ気色悪いだけ。
 主催者側としては、いつもいつもヒットというわけにはいかず、ときには今日のようなカスをつかまされることもあるはずだから、それに先輩だから、批判するつもりはない。そのぶん、おいそこの芸人、てめえに不満をぶつけるわけだが、外国で評判だったとか、何賞を貰ったとか(なにがカンヌの最優秀賞だい!) そんな過去の栄光、今晩の出来を見れば、嘘八百も同然だ。おそらく東洋の神秘とかで過剰な評価を受けたに違いない。いや、かつてはそれだけの評価を受けてもいいような神秘の光暈が棚引いていたこともあったかも知れないと認めてもいい。でも今晩のものを見る限り、何度でも言うが、そんなものの痕跡さえ窺うことができないのだ。
 舞台の後、五分の休みがあり、その後出演者のお話があるという。てめえのゴタクなど聞きたくもねーや。妻と二人、灯りがついてすぐ、憤然として帰ってきた。導入部の一分で、これはちとおかしいぞ、と思いながら、まさかまさかと最後までいたことが悔しくてならない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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