虫害に遭った魯迅

急に寒くなってきた。昨夜はとうとう冬の掛け布団を出した。これまでとは違ってどっしりと布団の重さが加わったが、夜中に目が覚めるようなことがなく、朝までぐっすり眠れた。安眠には適当な重さが必要なのであろう。
 さて以下のものは『中国の革命と文学』全十三巻(平凡社、1971年)のうちの第一巻『魯迅集』の最初のページ(実は78-79ページ)に挟み込むために書いた文章である。古本との付き合いにもいろんなことが起こります。


  おことわり

 二〇一二年十月八日、本書の表紙を含めて前半部八十ページまで虫に喰われていたことが判明した。旧棟階段踊り場の壁面にしつらえた書棚の全十三巻の叢書中、魯迅の集だけが犠牲になっていたのだ。最初、ネットの古書店からそれだけを購入して補充しようと思った。千三百円くらいで手に入りそうだった。しかし考えてみると、魯迅作品の翻訳書は他にも二種類ほどあるし、それに自分は読めないが頴美や愛のために揃えた中国語版全集もある。ならばこの際購入を諦め、せめて表紙だけでも他の集からカラーコピーをとってやることにした。もっと正確に言うと、先ず他の集の題名その他を見ながら字の大きさを按配して魯迅集、編者名などを印刷する。そしてその紙をパステルで元の臙脂色に塗りつぶし、今度はそれを他の叢書の表紙からカラーコピーしたものの当該箇所に貼り付ける。そしてそれを改めてコピーして(あゝややこし!)、新たに装丁し直したのだ。このところ熟練してきた蘇生術が役に立ち、それほど見苦しくない本に仕上がった。
 それにしても憎っくき本喰い虫め。残った八十ページ以降も直径一ミリほどの小さな五つの掘削跡が互いに適当な距離を保ちながら残っていた。さらに先を調べてみると、次第に本数が減っていき、最後の一本は何と二百八ページ、つまり本の半分手前まで達していた。初め五匹で掘削を始めて途中四匹が諦めて引き返したのか、それとも一匹が行きつ戻りつして坑道を堀り進んだのか。でもあの柔らかい(?)図体で戻るというのは難しいのではないか? やはり五匹が先陣争いをしたのだろう。でもその先端に虫の屍骸は残っていない。煙のように消えたのか?
 北側廊下壁面の書棚に一部被害があるのが分かったのが一ヶ月前。一応他の書棚もチェックし、この階段のところも調べたはずだが見落としていたわけだ。しかし今回は喰い残した跡はあるが虫の姿が見えない。魯迅さんの本を喰ったことが恥ずかしくなって自死したのか、それともどこかに逃亡したのか、それも謎である。ところでその虫だが、今夏の異常気象で突然発生したのか、それともずっと前から居ついていて、何年もかけて掘削工事をしていたのか。そんなこと私ゃ虫じゃないから分かりましぇーん!

二〇一二年十月九日

貞房文庫司書兼呑空庵庵主  佐々木孝 またの名富士貞房これを記す。

 
 袋とじ印刷された以上の文章を最初のページに挟み込んだ『魯迅集』は、「ネオパラ・エース」という小さな袋に入った防虫・防かび剤を頭に乗せて、無事書棚に戻された。先日、日本軍に侵略された時代の中国や朝鮮の文学作品を読むべきだと言ったが、掛け声だけで自分自身は読んでこなかったバチが当たったんだろう。これを機会にせめてスポット読み、もしくは散らし読み(文字通りあちこちアトランダムに読むこと)でもしようか。ちなみに『中国の革命と文学』全13巻(平凡社、1971年)の内容は以下の通りである。

  1.魯迅集、尾上兼英・丸山昇編
  2.五・四文学革命集、増田渉編
  3.郭沫若・郁達夫集、松枝茂夫編
  4.老舎・曹禺集、伊藤敬一・松枝茂夫訳
  5.抗戦期文学Ⅰ、竹内好編
  6.抗戦期文学Ⅱ、小野忍編
  7.趙樹理集、駒田信二編
  8.抗日戦の記録、竹内好編
  9.延安の思い出、小野忍編
 10.革命回想録、新島敦良・松井博光編
 11.人民公社史、竹内実編
 12.詩・民謡集、中野重治・今村与志雄編
 13.少数民族文学集、千田九一・村松一弥編

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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