来週、健次郎叔父が来てくれる。昨年、何回も十和田のばっぱさんを訪ねてくれた時のように、上士幌はげあん診療所の従弟・御史さんが同道の旅であるから安心しているが、しかし超元気印の叔父とはいえ九十五歳である。今回は電車で仙台まで、そのあとレンタカーで南相馬までという予定らしいが、せめて一晩ゆっくりしてもらいたいと願っている。それにはもう一つ理由がある。それは叔父の従妹、よっちゃん(森田芳子さん)にぜひ会ってもらいたいからだ。
そう、とうとう昨日、よっちゃんの消息がつかめた、いやつかめただけでなく、電話で直接話すことができたのである。つまり今までその消息を知りたいと願いながら、つい具体的なアクションを起こさずにきたが、健ちゃんがくるとなっては、是が非でもその前に消息を調べなければと、震災前まで埴谷・島尾記念文学館でお世話になっていた寺田さんに調査方を依頼したのだ。手を尽くして調べてくれた一本のケータイ番号を手がかりに電話したところ、それは現在仙台市に避難生活をしている息子のJ君の番号で、そのアパートには双子のR子さんの家族も階は違うが一緒に暮らしているという。それでお母さんは、と聞くと、なんとよっちゃんは南相馬市鹿島の仮設住宅にできた老人ホームにいるというではないか。
かくのごとく小高区の皆さんは震災前まで身を寄せ合って住んでいた親・兄弟がばらばらになってしまったのだ。よっちゃんたちが住んでいたあたりは線量は低いが電気や上下水道の生活基盤がまだ整わず、帰郷の予定は立っていないという。
Jさんから聞いた老人ホームの電話番号を回すと、親切そうな係りの女の人が出て、森田芳子さんとお話したいのですが、と言うと、いま呼んできますのでお待ち下さいと言う。実は少し怖れていた。もしかしてこの震災のあと、すこし記憶などが混乱しているのではないか、と。小さな話し声のあと、よっちゃんが電話口に出てきた。原町の佐々木孝だけど…ちょっと間が空く、あの千代の次男、と言ったとたん、あゝ千代ちゃんとこのたーちゃんか? 覚えていてくれた、それも私の幼名で…
思ったよりしっかりした受け答えだが、いま住んでいるところが鹿島だということが分からず、近くにいた係りの人に確かめている。ここ鹿島? んだって、どこにいるか分かんねえだー。そうだろう、何が何やら分からないままに、いろんなところを引っ張り回されたわけだから。
なにー千代ちゃん死んだのーなんだべー…。でもよっちゃん、数えで百だどー、大往生だベー。んだなー偉かったなー。よっちゃん、千代の分まで頑張って生きてちょうだい。んだなー、千代ちゃんの分まで頑張っぺー。
島尾敏雄と仲良しだった三人の女いとこの最後の生き残りだ。本当に元気に頑張って、また小高に帰れるようになってほしい。家のばっぱさんがお世話になっていた「くにみの郷」の「なごみ寮」と同じ名前の仮設老人ホーム。健ちゃんが来たら、そして時間が許せば、ぜひ会わせたい。
三人仲好しいとこの中でいちばんおっとりしていたよっちゃん。今は亡き連れ合いは、私が密かにラフ・バローネになぞらえていたいい男だった。先日、古いフランス映画『嘆きのテレーズ』で久しぶりにラフ・バローネに会ったが、懐かしかった。本当に仲のいい夫婦だった。長男夫婦と同居し、すぐ裏手には末子のHちゃん一家、そして歩いて数分のところに長女のR子ちゃん一家と、まるで絵に描いたように仲良く暮らしていた幸せな一族が、大地震と原発事故で離散を余儀なくされている。
今回健ちゃんと会えないようなことがあっても、これから先、ばっぱさんへの親孝行と思って、ときどきよっちゃん訪問を続けていこう。
★今日のボヤキ
石原新党の名前が「太陽の党」だって? ざけんじゃない!、つまり「太陽族の党」ということだろ? こういう暴走老人、元湘南の不良青年を台頭させる日本なんてろくな国じぇねえ、犬にでも喰われっちまえ!