韓国の読者の皆様へ
今回こうして拙著が韓国の皆様に読んでいただけることを私がどれだけ喜び、そして光栄に思っているか、おそらく皆様には想像もつかないことでしょう。本文でも、徐京植さんにお会いしたときに、まるで異母きょうだいに会うような気持ちだったと書きましたが、それは決して誇張ではありません。青年時代の一時期、私は広島の或るカトリック修練院にいたことがありますが、そのときのある日、夢の中で私は確かに朝鮮人でした。なぜそんな夢を見たのか、自分でも分かりません。きっかけは時おりその修練院の側の朝鮮人の集落を通ったからでしょう。でも強いて解釈すると、日々魂の奥底を眺めなければならない厳しい修練の中で、いつしかそこの朝鮮人たちの悲しみに触れ、ついにはきょうだいになった夢を見たのかも知れません。一方的な思い込み、しかも夢の話などと笑われるかも知れませんが、私としては今も忘れることのできない貴重な《体験》なのです。しかしその後の現実世界では、在日朝鮮人の方とも、また韓国や北朝鮮の方ともお友達になる機会はありませんでした。徐京植さんにお会いできたのも、残念ながら私の人生の最終コーナーに入ってから、しかも大震災・原発事故の後でした。
しかしいま思うと、これは摂理的なことだったかも知れません。というのは先日、南相馬に個展の準備のためにいらした写真家の鄭周河さんともお話ししたことですが、日本人と朝鮮人のあいだに本当の意味での和解と友情が成立するには、朝鮮人がかつての日本から受けた屈辱と大いなる苦しみを先ず日本人が本当の意味で理解しなければならない。政治家たちの言う友好関係がどれだけ口先だけの薄っぺらなものか。そのことは大震災・原発事故の後に表面化した領土問題をめぐっての政治家たちの言動を見れば明らかです。本文の中でも折に触れてそれについての私の見解を述べておりますが、私にとっても、また日本人にとっても、原発問題は究極的には国家と個人の関係性の問題であり、その個人の共同体の一つである東北地方(絶えず中央からの収奪の対象であった)が国策である原発の事故によって大変な苦しみを嘗めている。つまり被災地の私たちは、といってもその事実に気づいている人は残念ながら未だ少数ではありますが、かつて東アジア、とりわけ朝鮮や中国の人たちが味わった苦しみや悲しみを理解できる位相に置かれたということです。
人は奈落の底で、つまりは心の底、魂のもっとも深いところで、他人の痛みや悲しみを理解できます。「解説」の中で、徐京植さんが私の「魂の重心」という言葉に注目なさり、さらには妻の排泄の世話を終末論と結び付けていることを取り上げてくださいましたが、それは私や徐さんが「下ネタ」が好きだからではありません。つまり魂だけでなく肉体を持った人間にとって、まさにそのことが肉体の最深部・底だからです。
実は本書の翻訳をしてくださったヒョン・ジニ(邢鎭義)さんにも、私の妻とは違う病気ですが二十年来介護を必要とするお母様がいらっしゃいます。その邢鎭義さんは実際に私と言葉を交わす以前から既に魂の奥底で私との対話を始めておられたようです。つまりそれは介護の苦労の中でも感じる深い幸福感、そしてそのほんの一つの例として排泄の世話の際に感じる深い安堵感と喜び、を知る者同士の、理屈抜きの相互理解と共感のおかげなのです。
初めてのご挨拶なのに、ずいぶんくだけた話になって申し訳ございません。でも韓国と日本が政治家の言うパートナーシップとは違う、心の底からの、そしてどんな政治的な難問にもびくともしない本当の友情で結ばれるために必要なことを、私なりに述べさせていただいたつもりです。
私もいつのまにか馬齢を重ねて七十三歳になってしまいました。その私がいま心から強く強く願っているのは、たくさんの難問を抱えた次代を背負っていかなければならない両国の若者たちが、いつか本当の友情で結ばれることです。「一大研修センターを!」で述べた夢が年寄りの妄想で終わらないよう、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。被災地の一つであるわが町・南相馬が両国の若者たちの交流の拠点になりますよう、私も老骨に鞭打って、できる限りのことをしたいと願っています。
最後に、朝鮮語訳のきっかけを作ってくださった徐京植さん、自由気ままな私の文章を見事に翻訳してくださった邢鎭義さん、そしてこの出版界不況の中で敢えて刊行に踏み切ってくださった Dolbegae 出版社の皆様に心からのお礼を申し上げると同時に、拙著を読んでくださる韓国の読者の皆様に深甚なる謝意を表して、このつたないご挨拶を終わらせていただきます。
二千十三年東日本大震災・原発事故二周年を間近にして
佐々木 孝