皺と灯台

いわゆるマンガ(コミックと言うのかな)を見て(読んで)感動したのはおそらくこれが初めてではなかったか。歳のせいで涙腺が緩んでいたのかも知れないが、危うく泣きそうになった。マンガというのは、パコ・ロカというスペイン人作家の作品ならびにそのアニメ化された映画のことである。
 しかし実は泣きそうになったのは、DVDを見たときではなかった。そこで話されるスペイン語があまりに早くて、聞き取るのに精一杯、感動するまでには至らなかったからだ。泣きそうになったのはそれから数日後、アマゾンから取り寄せた原著の翻訳本を読んだときであった。話が前後するが、DVDの方は先日拙宅にいらしたロブレードさんからいただいたもので、その時の説明では、これはNHKの国際アニメ・コンクールで受賞したもの、内容は老人ホームや認知症を扱った作品であり、英語の字幕付きだがそのうち日本語の字幕付きもできるはずである、と。
 なるほど題名は Arrugas、つまり皺で、英語のタイトルも Wrinkles となっている。カバーには腰の曲がった婆さん一人と二人の爺さんが描かれている。このときいただいたのはDVDだけではなかった。この映画のプロデューサーManuel Cristóbalさんから言付かったのだが、と分厚いウナムーノ伝を渡されたのである(Colette y Jean-Claude Rabaté, “Unamuno”, Taurus, 2009)。著者はフランス人夫妻で、そのスペイン語版なのだが、ウナムーノのアルバムも入った800ページもの大著である。
 一度もお会いしたこともない方が、『原発禍を生きる』のスペイン語訳草稿を読まれてわざわざ送って下さったのだ。だから一言でもお礼を申し上げなければならないのに、そのその彼がプロデュースした映画を観ないではお礼のしようがない。そんなわけでDVDを見たのだが結果は先に言った通り。何度でも繰り返し見れば(聞けば)いいのだが、その気力が出て来ない。そこでこういうときのアマゾン頼み。検索してみたら、何と日本語訳が出ているではないか。
 それが数日前届き、日本語訳のついた原作を読んだのだ。もちろんDVDの映像を観た段階でも大筋は理解していたが、今回登場人物たちのセリフをしっかりたどることで、なるほど受賞したのも当然だと納得したのである。「<老い>と<認知症>というシリアスなテーマを扱いながら、その描写は時にユーモラスで、優しく温かい」という第15回文化庁メディア芸術祭審査総評も言っている通りである。
 ところがこの日本語版(小野耕生・高木菜々訳、小学館集英社プロダクション、2012年2刷)にはもう一作が収録され…おっとここまで書いてきて、迂闊にもこのアニメの作者のについて何も言ってこなかったことに気づいた。それで簡単に紹介すると、作者パコ・ロカは、1969年バレンシア生まれで、そこの美術商業学校を出た後、イラストレーターなどをした後マンガ家に転向し、2007年フランスで出版された『皺』で一躍脚光を浴びたそうだ。
 ここでさらに白状すると、私が泣きそうになったのは実はこの『皺』ではなくて(扱ってる内容があまりに身近な問題なので、逆に感情移入が難しかったから)、この日本語版に同時収録されていた『灯台』(2004年作)を読んだ(見た)ときなのだ。これはスペイン内戦を背景に、燈台守の老人と、そこに流れ着いた共和国軍側の若い兵士の交流を描いた作品なのだが、マンガがこれほどの重い主題をわずかな駒数で描き切っていることに驚きもし、感動もしたのだ。
 この日本語版には作者のインタビューやエッセイも併録されているが、それらも実にいい。いっぺんにこの若い才能のある作者のフアンなってしまった。アマゾンを検索すると、邦訳はされていないが彼の作品は他にも『アルハンブラの息子たち』、『陰気なゲーム』、『マンガ家の冬』、『砂の通り』、『アレクサンデル・イカロの冒険』など、タイトルからだけでも読んでみたい作品がいっぱいあるが、いかんせん、マンガといえども美術画集並みの値段(でもないか)、古本で安くなるまで待つしかあるまい。
 ともあれ、これでアニメ版のプロデューサー、マヌエル・クリストバルさんにお礼の便りを差し上げられる資格はできた。さっそく明日あたり書くことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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