南相馬から世界へ

※五度目と最後の発言 今回は鄭さんの発言を少し長く。

  このタイトルは、私が写真をすべて撮り終わってから、名付けたのではありません。
 徐京植さんと私は、2011年8月に、ソウルでお会いしました。徐さんが韓国に来られた時に、韓洪九先生とともに、会ったわけです。すでに福島の3・11については韓国でも現象、事件としてよく知られていて、自分もよく知っていました。しかし、自分が写真家としてここに来て、何を、どう見るべきかという決定は、まだ何も決まっていませんでした。当時は。先ほども申し上げましたが、自分の写真にとりくむ姿勢は、事件の現象ではなく、その裏面に潜んである兆候に関心を持つと、話をしましたよね。それらは、したがって、私の作業、自分が「何を見るか」という私の態度を決める大切な要素になるわけですね。
 それで、韓洪九先生と徐京植先生から、ここで自分が何を見るべきなのかという自分の態度に関する相談をする中で、自然に、韓洪九先生がそこに行ってみるようになる、そのあまりにひどい状況よりは、相変わらずそこが美しいということ。だから、韓洪九さんは、ここの周辺が秋になると、とても美しいことを御存知だったようでした。ここ福島の自然が、それにもかかわらず、人間の罪によって、間違った決定によって、ここに何かが建てられて、自然の災害を受けた時に、それが、ここに住んでいる人たちにとんでもない攻撃をした際に、それにもかかわらず、ここの美しい自然を見せることで、彼らに「ほら、見なさい!ここは変わりなく美しいのだよ!!」と 提示してみようというのが、当時三人で話し合った時に自分が思ったことでした。「奪われた野にも春は来るか」の詩も、実は詩全体に含まれている内容を理解してタイトルをつけたよりは、奪われた野に春は来るかという問いに、ここの皆さんと写真を撮る自分が一緒に共有してみようという、気持ちから決めたわけです。
 写真は一瞬の時間を切り取る作業です。だから写真家にとって大事なのは、撮る瞬間ではなく、それを撮るために自分がどんな態度を持つかを決めるのが大切ですね。したがって、韓洪九さんと徐さんと、このタイトルを議論した過程は、ここに来て写真をとる私の態度を決める上で大事な場でした。ですから、このタイトルは自分にとっても大事な意味になりました。

  佐々木先生は今のやりとりについて何か。

佐々木  はい。少しずれるかも知れませんけどね、いつもの通り…。私はこう考えたんですよ。例えば、鄭さんが預かり知らぬところでタイトルをつけられたとしたら、おっしゃるとおりです。だけど、そうじゃなくて、鄭さんがそのことに全面的に同意して、自分の写真をその詩と合わせることに意味を見出したとしたら、それはすごくいいこと。つまり、私はこう思うんですよ。昨今、私たち近代人は、いわゆる著作権とか、あるいはオリジナリティーっていうのをあまりにも狭く考えすぎてる。私の考えでは、人類の長い歴史の中で、たとえどんな独創的な詩人であれ、小説家であれ、単なる小さな脚注かノートみたいなものだと思います。人類の歴史の中で、いろんな人がいろんなことを考えた、そのいろんなものが詰まったものを、後世の私たちはただ利用するだけ。
 例えば私の、先ほどの「魂の重心」なんていう言葉も、「魂」とか「重心」なんて言葉は、もう誰のものでもない。で、それらの言葉を、ほんのちょっと組み合わせる。だからオリジナリティーなんてものはまったくその部分でしかない。で、芸術家が、本当に謙遜な、本当の芸術家だったら、そういう人類の大きな歴史、遺産というものに乗っかった自分というものを意識しているはず。チッポケな自分。そして、その大きな流れ、例えば、この具体的な話だと、イ・サンファの詩というもの、それは日帝時代に書かれた詩だけれども、あぁ今の私の写真と非常に似ていると思ったときに、それを合わせることで、コラボレーションっていうか、そういうものが実現する。
 例えば、非常に私的なことを言えば、私の本(自著『原発禍を生きる』)が、3日前に、韓国で出版されたました。でもまだ私は見てませんでした。それを3日前に鄭さんが持ってきてくださったんですよ、その本を。そして見てびっくりしたのは、鄭さんの写真が6葉も、2ページ大で6枚も入っている。本当に感動したんです。つまり、コラボレーションです。ふたりの違った世界が、そこで相乗効果をあげて、別な、もっと素晴らしいものに仕上がっていると思ったんです。だから、もしも、イ・サンファが生きていたとしたら、鄭さんの写真に自分の詩句が使われることを、すごく喜んだはずだと思うんです。まぁご質問からちょっとずれた答えかもしれませんけれど。

  私の写真家としての人生のなかで、今回の展示は、いちばん美しい展示だったと思います。ある外国人写真家が、ここを訪れて、皆さんを見つめて、それを表現して、展示して、本にしてお見せした時に、皆さんはそれを受け入れていただき、それを写真として認めていただき、また、このように一緒に話し合ってくださった点に関して、心から感謝を申し上げます。先ほども申し上げたように、私の南相馬への関心は、南相馬に3・11があったからではなく、私がすでに韓国でも原子力エネルギーに対する関心があったからです。今後、3・11のことは、ますます人たちの脳裏から薄れていくことでしょうけど。皆さんがお許し下さるなら、少なくとも年に1度くらいは死ぬときまで、ここに「観光」しに来たいです(笑)。

<拍手>

  じゃあ、先生からも。

佐々木  はい。せっかくですから、南相馬の宣伝を。つまり、原発被災の町として、日本でもそうですし、世界でもそういう町として映っていると思いますけれど、ただ、私たちの町は、埴谷雄高とか、憲法学者の鈴木安蔵とか、島尾敏雄とか、それから『戦ふ兵隊』のフィルムを作った亀井文夫とか、あるいは彗星を発見した羽根田(利夫)さんとかですね、単に原発の町ということだけじゃなくて、世界に、日本の新しい姿を見せるための発信基地になりうるということを是非、私たち地元の人たちがそのことに誇りを持ってほしい。誇りに思うだけではしょうがないんで、外国の人、特に今、鄭さんたちとせっかく交流できたんだから、取りあえずは韓国の人たちにそういうことを、是非、知っていただく機会にすることを、皆さんと一緒に考えていけたらなぁと思います。
 ともかく、若い世代に、まぁ私は老人ですからね、若い世代に期待することがものすごく強いです。ですから日本の若い世代、韓国の若い世代、中国の若い世代、東アジアの若い世代たちと、本当に交流できるような事態になればと願ってます。原発という不幸な事件を通して、多分、南相馬という名前が知られていると思いますが、けれど、本当はもうひとつ別の面もあるんだっていうことを、これからも是非、皆さんと一緒に発信してゆければいいなぁと思ってます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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南相馬から世界へ への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     素晴らしいお話に感動しました。原発事故という悲惨な出来事を通して、先生が様々な人たちと出会われ、縁を持たれ、それを育てていこうとされている意志が伝わって来ます。人生の中で様々な縁に恵まれたとしても、それを育てることに大きな意味があり、より大切なことなんだと先生のお話から学びました。そして縁を育てていくためには、自分自身の「魂の重心」の在り方を謙虚に自問自答しなければならない。そう私は思いました。ふと、『原発禍を生きる』にある私の好きな文章の一節を思い出しました。

     「幼い肉声が坂道を降りていく。急に視界がぼやけ、鼻筋が熱くなった。あの幼女はいつか思い出すだろうか、曇り空の公園のベンチに坐って自分の踊りを見てくれたあの老夫婦を。すべての思い煩いから解き放たれて、一瞬の中に永遠をかいま見たあの老夫婦のことを。あれは大震災のあった年の夏の初め、公園を囲む土手に、むらさき、薄むらさき、そして薄いピンクの紫陽花が咲いていたあの午後の公園のことを」。

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