ちょうどエアポケットに入ったみたいに、すべてに張り合いを失い、思うことといえば、残された時間のことを考えれば所詮すべては中途半端に終わるのでは、などと柄にも無く(?)弱気の虫に取り付かれた数日が続いた。こんな気持ちに襲われたことはこれまでだってしょっちゅうあることなので、別に慌てはしなかった。そう、こういうときは機械的な手仕事を続けること。私の場合は古本装丁の作業である。今回はメキシコの小説家のものが中心となった。それにはあと数日で、メキシコ大使館からの客人を迎えるための心の準備の意味もあった。
今回の訪問は、例のオクタビオ・パスの長詩『太陽の石』の朗読会に関連する流れの中の一環である。つまりこれまで何度か触れてきたように、一昨年の大震災・原発事故を追悼する意味で企てられた詩の翻訳・朗読の催し(初回は三月八日、東京の芭蕉記念館で)が、ここ南相馬でも行なわれる話が持ち上がった矢先、それがちょうど400年前の慶長地震・津波の際にヌエバ・エスパーニャ(メキシコの前身)の特使セバスティアン・ビスカイーノが相馬を訪れたという史実とぴたり重なったことから、俄然新しい意味を帯び始めたのである。
実はその下調べのこともあって、今回の朗読会の世話人のひとり阿波弓夫さんが先月南相馬にいらしたので、いつもの通りメディオス・クラブ事務局長の西内さんを交えて第一回の打ち合わせをした。今週後半に予定されている訪問はそれの本格始動への第一歩のためである。詩の朗読会そのものがメキシコ政府と日本政府合意の下の文化交流であったのだが、来月または六月開催予定の催しは、はっきりメキシコ大使館が前面に出る行事になるわけで、そうした公的な対応にはまったく不慣れなわがクラブはいささか心もとない気がしないでもない。でもできないことを無理してやるわけでもなし、できることだけしっかりやれば…
いやそんなことを書くつもりではなかった。例の装丁の作業だが、先ずはオクタビオ・パスのスペイン語詩集やらエッセイ集を合本にしたり、布表紙にしたりしているうち、彼の『孤独の迷宮』(高山智博・熊谷明子訳、法政大学出版局、1990年、第5刷)が読まれないままだったことに気がついたこと。そしてそれを飛ばし読みしながら、メキシコそしてメキシコ人が抱えるとてつもない困難な課題に初めて目が開かされたことを報告したかったのである。つまりかつては長らく宗主国スペインの支配下にあったが、1821年の独立以後、一度は途切れたスペイン征服以前のマヤ・アステカ文明との連続性をも徐々に回復しつつ、国民の大半がインディオとスペイン人の混血(メスティソ)という独特な人種構成もあって、ユニークな国づくりをしてきた、との一般的な認識しか持ち合わせていなかったが、ことはそう簡単ではなかったことを改めて教えられたのである。簡単に言えば、独立運動を主導したのはクリオーリョ(現地生まれのスペイン人)だったということは、スペインからの独立は彼らのそれではあっても、決して社会構造そのものの変革ではなく、むしろ現代にも続く独裁者の温床はそのまま残ったということである。
「…新生諸国はそれぞれに独立記念日を持ち…民主的な憲法を制定していた…だがイスパノアメリカでは、植民地体制の遺骸の上に、近代的な衣を着せただけのものであった。自由と民主主義的な観念は、我々の歴史的な状態を具体的に表現するどころか、むしろそれを隠したのである。政治的な虚偽が、まるで体質的ともいえるほど、我々国民の中に取りついた。精神的な弊害ははかり知れず、我々の本質の奥深くにまで達している。我々はごく自然に、嘘の中で動きまわる…」
パス(1914~1998)のこの言葉を読みながら、彼の一世代あとのカルロス・フエンテス(1928~)までが執拗にメキシコとはそも何者か、という難問にどうしてあれほどこだわってきたのか、その謎が少し分かり始めている。フエンテスの名前まで出してしまったが、ここでも恥を忍んで白状しなけばならないが、わが敬愛する先輩・西澤龍生さんが訳された彼の『メヒコの時間』(新泉社、1975年)もまたこれまで読まずじまいなのだ。 冒頭に述べた悲しい現実はそのとおりだが、しかし中途半端に終わってもいい、死ぬまで、いやボケが来るまで、日々新しいことにも挑戦していこう。
そしてパスの言葉をもう一度よく読み直して見ると、これは決してメヒコやイベロアメリカ諸国だけの問題ではなく、わが日本にもほぼそのまま当てはまる指摘ではないか。「和魂洋才」は掛け声だけで、実は「魂」までが近代的な衣装をすっぽり被らされ、自分にさえ自分が分からなくなってしまっている、見えなくなってしまっている、それが日本であり日本人の現実ではないのか。政治のみならず社会そのものが体質的虚偽に浸食されているのではないか。
言われている地方分権も、そうした中央の体質構造をそのまま地方に移し変えるだけなら、ちょうどほとんどの地方都市がリトル・トウキョウ化しているのと同じではないか。これまで何度も繰り返し主張してきたように、今回の不幸な震災・原発事故がすべてに亙っての自己点検の機会であるべきなのに、そのチャンスをまたもや見逃そうとしている。
政治についてもそうだが、私としては特に教育に関して大変な危機感を持っている。このままならアイデンティティを持たない人間、私流の言葉で言えば、限りなく魂の重心が高い、というより重心を欠いた等質の人間を金太郎飴製造機のように作り出すだけのものであろう。政治の地方分権以上に緊急の課題は教育の地方分権である。硬化した日教組も問題だが、それ以上に硬直し巨大化した文部科学省の地方分権、というより解体が必要である。
大昔、私が帯広市柏小学校の生徒であったころ、十勝開拓の父・依田 勉三(よだ べんぞう、1853~1925年)のことを教えられ、子供心に深い印象を残した。後年、静岡の常葉学園大学の教師になって学生たちを夏季合宿に伊豆に連れていった際、そこの松崎が勉三の生まれ故郷であることを知り、まるで自分の故地に出会ったような不思議な感動を覚えたものである。しかしいま考えると、彼はちょうど新大陸を征服したスペイン人のようなものであり、本当の十勝の歴史教育はアイヌの歴史から始められなけれならなかったはずだ。
それはともかく、この教育システムがこのままだと、「笑っていいとも!」のスタジオ参加者のように、同じくだらぬ冗談に、同じタイミングで馬鹿笑いする国民の大量生産に役立つだけだろう。いやシステムをいじるだけでは、これまでの教育改革の轍を踏むだけだ。まどろっこしく見えるかも知れないが、国民全体の中に本当の意味の覚醒がなされなければすべては無駄であろう。とてつもなく大きな難問を、メキシコや中南米諸国のみならず、わが愛する日本もまた突きつけられていることに先ずは気づくことだ。
そう考えると、無気力に陥っている暇など無いわけ。さあ元気を出して頑張ろう!
※文中、メキシコをメヒコと言ったり、中南米をイベロアメリカとかイスパノアメリカなどと呼び混乱させて申し訳ない。先ずメキシコ(México)、この場合の x の発音はJ、カタカナにすればハ行、つまりヒと発音される。だからスペイン語圏の人はメキシコをメヒコと言う。またイベロアメリカはポルトガル語圏のブラジルを含んだ呼称で、一般に中南米を指すラテンアメリカ(ラテン系アメリカ)と同義であるが、しかしイスパノアメリカと言う場合はスペイン語圏アメリカすなわちメキシコ以南のブラジル以外の国々を指す。念のため。
※※表題を「避けられない課題」としたが、しかしこの難問はしてもしなくてもいい哲学論議と違います。つまり「生きる」とは究極的かつ必然的に「生きるとは何か」を問うことと同じであるように、「日本とは、日本人とは何者か」と問うこと自体が、真の日本、掛け値なしの日本人であることに繋がるのです。何?面倒くせえだと?「愛する」ことが限りなく面倒くせえことであるように、この世で真に価値あるものは、確かオルテガさんもどこかで言ってたように、すべからくメンドウクセエことなのさ。すべてはその覚悟ができるかできないかにかかっている。いやなに、しかめ面して深刻ぶるのとは違いまっせ。爽やかににこやかに、楽しみつつ生きていくことでっせ。念のため。
先生が『原発禍を生きる』を中国、韓国、スペイン(スペイン語圏)に発信されたこと、鄭周河写真展を南相馬市で開催されるために尽力され、それが関東エリアで展開されていること。オクタビオ・パスの長詩『太陽の石』の朗読会を南相馬市で企画されていること。こういう一つひとつの地道な試みを継続することが極めて大切だと私は思います。ふと、「ケイトンズヴィルへ出かける」2003年1月18日にこんなことが書かれてあったのを思い出しました。
「われわれは、平和運動家にならないならすっかり運動から手を引いてしまうのだが、大事なのは自分のできる範囲で、飽かずしつこく意思表示を続けること、買物や郵便局に出かける感覚で現実打開のささやかな運動を継続することだからだ。そう、私も思いついたらすぐにケイトンズヴィルに出かけることにしよう」。
阿部さん、いつも的確なコメントありがとう。書いた自分がすっかり忘れていた文章ですが、本当に今思い出すべき文章でした。どなたかさらに読みたい方は、行路社版『モノディアロゴス』148ページか、あるいはネットでも「富士貞房と猫たちの部屋」の「研究室」→「富士貞房作品集」→「モノディアロゴス」2003年とたどれば読むことができますので、どうぞ。
佐々木様
先ほど電話させていただいたラジオ福島の菅原美智子です。
突然にもかかわらずお話をしていただきありがとうございます。
是非佐々木様の取り組みを取材させていただきたいと思います。
宜しくお願いいたします。