私にとって朝方、布団の中でまだ意識朦朧としている時間、半覚半睡(あっ辞書引いても出てませんよ、私の造語です)の時が、自分でもびっくりするような思いつき、アイデアが湧いてくる時間である。1920年代のシュルレアリスト(超現実主義者)たちが創作活動に行き詰まって夢や自動記述に活路を求めたのは、日中はさまざまな雑事に埋没し疲弊している意識が、というより(たぶん)下意識が、そうした時間、雑事から開放されて活発に動き出すと考えたからかも知れない。
それはともかく、今朝のさまざまな想念をまとめてみると表題のようなものとなった。さてこれを解説するのは意外に難しい。夢の中では実にヴィヴィッドだったイメージも、いざ人に説明するとなると難しいのと同じである。でもついでに言うと、この作業こそこれまで何度も話題にしてきた「紡ぐ」ということ(この場合の対象は夢だが)なのだ。ともかく説明してみよう。
ことのきっかけはこのところ例のオクタビオ・パスの詩朗読会をめぐっていろいろ考えてきたからであろう。これまでもすでに何回か書いてきたように、朗読会を400年前のヌエバ・エスパーニャのビスカイーノ特使相馬訪問と重ね合わせることによって、南相馬とメキシコを時空を超えて一気に結びつける機会にすること自体はメキシコ大使館とも合意にこぎつけることができたのだが、私の考えはそれに留まらなかったのである。つまり400年前の史実を現代に再現してはどうかとまでエスカレートした。
あのときも地震と津波が当地を襲った直後であったにもかかわらず、相馬藩主利胤公以下藩内のすべての住民が特使一行を手厚くもてなしたことは、自画自賛してもいい快事であった。これをメキシコのみならず世界の人々にもアピールするにはどうしたらいいか。それにはあの当時のことを再現してみること。つまり相馬城址で旧藩主に成り代わった現・相馬市長が野馬追いで使った陣羽織姿でメキシコ大使一行を迎えてはどうか、いやそれだけではなく(とさらに想像は広がる)、相馬から小高城址(現・小高神社)まで十騎ほどの武者(当時の記録では奉行たちとなっている)に先導された大使一行(かなりの距離なので車に乗って)があの旧街道を進んでいく、すると沿道のところどころにメキシコ国旗と日章旗を振る子供たちが一行を歓迎する…
そして出来ればこの状景をテレビ・カメラが追う。メキシコからテレビ・クルーが来るのは無理だとしたら、我が友ゴンサロさんがカメラを回して、それをメキシコ・テレビが拝借して放映…実はここまでは既に考え及んだことであった。今回の夢想はさらにその先を行く。つまりこれを一回限りのイベントで終わらせるのは勿体無さ過ぎる、と考え始めたのだ。そうだ、毎年が無理だったら隔年、いやそれも無理だったらせめてオリンピック・イヤーに併せて四年ごとでもいい、メキシコ・相馬の恒例の行事として定着させ、それに併せて各種行事を、たとえば今年はオクタビオ・パスの詩朗読会なら、次回はメキシコの児童の絵の展覧会を、そしてそれを盛り上げるためにはマリアッチ [メキシコで生まれた、ギター、バイオリン、トランペットという独特な編成の楽団] が町中を練り歩く…
いや待てよ、単なるお祭り騒ぎにするだけなら勿体無い。そう、そもそものきっかけは大震災と原発事故だった。そうだ、メキシコの若者、韓国の若者、スペインの若者、そして中国の若者と日本の若者が集まって「原発の無い世界をどう構築するか」について民間レベルで話し合う集いを企画してはどうか。以上の国々は震災以後、南相馬が関わった、あるいはこれから関わろうとしている国々だが(正確に言うと拙著の翻訳を通じて)、将来的にはさらに参加国を増やして…で、使われる言語は? 下手に(?)英語を共通言語にする必要はないと思う。若者たちにはそれぞれの国の言葉で発言してもらった方がいい。通訳してくれる人は容易に見つかる。つまりそれぞれの国の言葉が生で(?)話されることにこそ意味があり、それを聴いた地元の若者たちの間に俄然、朝鮮語やスペイン語あるいは中国語に対する関心と興味と、さらには学習意欲に火が着く。もちろん南相馬の姉妹都市であるアメリカのペンドルトン市の若者たちにも参加してもらい、いつかその数は国連加盟のすべての国々に及ぶ…
さあ、妄想はさらに際限なく広がりそうなので、この辺で一度止めましょう。今回の朗読会関連の行事は(たぶん開催時期は秋か)、幸いメキシコ大使館の力強い後押しがあって、つまりありがたいことに民間レベルを超えた政府レベルにも進展しそうな事態になってはきたが、未来の理想的な世界を構築するには、公的なところからの援助を受けつつも、本来的には民間の、それも青年たちの創意と工夫という草の根的な広がりがなければ続かないであろう。
「原発の無い世界を考える青年の集い」の開催は今年は無理であろう。しかし今秋(たぶん)のメキシコとの文化交流行事を成功裡に終わらせ、それを弾みにして来年度以降の開催を目指して皆で知恵を出し合うというのはどうだろう。これをお読みの皆さんからも今後いろいろな助言を賜りたい。この青年の集いこそ、わが「メディオス・クラブ」が模索してきたクラブ本来の目標かも知れない。またまた西内事務局長さんの出番でーす。よろしく願いまーす。
※後記 実は上の文章を書き終えたあと、気になってネットを調べたら、同じようなタイトルの会議は、既にいろんなところで、いろんな団体がやっていることを知った(ただし青年の集いというのはどこにも無かったが)。放射能の専門家や、相も変らぬチェルノブイリ視察団のありがたい講話…うえー正直言うとそんな会議なんて頼まれても参加する気になれないけどな。ましてや南相馬でそんな会議のために骨を折る気など毛頭ないね。たぶん私が考えている集いでは原発それ自体についてはほとんど話題にもしないと思うよ。じゃ何を話し合う? そうね、世界から核も戦争も無い世界を市民レベルで構築するにはどうしたらいいか、皆で楽しく(?)語り合うだろうね。
ともかく、ネットで垣間見た会議の様子は、息を詰めて駆け足で被災地を「見学」した後のやたら感情移入の激しい(他人ごとだと思って?)報告、大陸性でもともとヨード不足の土地柄であるチェルノブイリとの単純比較から類推した恐ろしげな健康被害の予想図など、被災地に住む私たちから見れば今さら聞きたくもないものばっかし。
そういえば、先日、あのK助教の「もう原発はいらない」とかいう講演会が「ゆめはっと」であるという立て看板が目に入った。おいおい、今さら何を言うだ、そったらことこちとらはもう何十年も前から主張してきたわい。言っちゃなんだけど、そういう講演会を企画する人の気が知れない。まっ他人のやることにイチャモンつけるつもりなどないけど。やっぱつけてる? じゃもうやーめた。以上文字通り言わずもがなの蛇足でした。
hi! my name is gim- ge- hun.
i live in seoul, korea.
i read your book
i agree your opinion.
Nuclear power is too dangerous.
i think korea people have to read your book.
but more important is Reflection of Japanese
reason is, it is Problems of people.
History problems and environmental problems
all problem come from, human problems.
thank you.
Hi,gim- ge- hun san,
Thank you very much for your comment. I quite agree with you that we must learn and recognize the past history of relations between Japan and other Asian countries. As I wrote in my blog I hope that someday the young of these countries meet each other here at Minamisoma to talk and discuss on the way how to built the ideal world without wars and nucler power-stations nor weapons.Would you join us? Anyway,please write sometimes your dream and opinion.