まるで初めて読むように

一昨日、待ちに待った『原発禍を生きる』のスペイン語版が届いた。書名は原著と少し違って “Fukushima Vivir el desastre”、直訳すれば(するまでもないか)『フクシマ 災禍を生きる』となる。なるほど、いまや世界的になったフクシマがあれば、わざわざ原発という言葉を入れる必要はないわけだ。
 エバ・バスケスさんの表紙絵がどんなものかはメールで事前に知ってはいたが、実物を見てさらに感心した。中央より少し右上にある円形の中に数軒の日本家屋が半ばシルエット状に浮かんでいて (合間に見えるのは海か)、手前の小さな別の円の中に無人の椅子が一脚それを眺める位置に据えられている。全体は山吹色と臙脂を基調にした実に落ち着いた雰囲気に仕上がっているが、しかしその静けさの中に一種終末論的な悲しみが漂っているように思えて、エバさんの絵が本の内容に優しく寄り添ったものであることが分かる。
 目次を見ると、フロレンティーノ・ロダオさんの「フクシマ後の世界」という力のこもった序文、著者ノート、2ページに亙る日本と福島県の略図、本文と続き、巻末に「魂の重心という言葉」と題するあの徐京植さんの名解説が、そして付録として著者略歴、著者自己紹介、そして著者と家族の写真8葉で締め括られている。実は写真や自己紹介の文章などは最後の段階でばたばたと送ったものなので、本が出来上がるまではどう処理されたかまったく分からなかった。韓国版が実際に手に取るまで鄭周河さんの作品と一緒だと知らなかったのと同じである。だから実物を見ての喜びもひとしおだ。
 サイズは教科書より少し大きめで総ページ334、紙質は最近高価な本以外にはまったく使われなくなった腰の強い、少し厚手のもので、手に持つとずしりと重い。手に持ったときの重さについて向田邦子さんが使った美しい言葉があったはずだが、いまは思い出せない。
 しかし装丁や外観だけに感心したと思われては困る。アルフォンソさんとマリアンさんが二人で切り回しているサトリ出版は、日本文化を専門に紹介する小さな出版社だが、これまでもびっくりするような本格的な出版を続けてきた。ネットのカタログでは承知していたが、今回拙著と一緒に送られてきた、いまや我が同志となった佐藤るみさん訳の二冊、すなわち徳冨蘆花の『不如帰』と永井荷風の『濹東綺譚』を実際に見て驚きはさらに大きくなった。つまり選書や造本についてのサトリ(もちろん悟りの意)の哲学みたいなものが見えてきたからだ。昔は日本にもあった実に風雅な装丁の本である。その二冊は、日本文豪シリーズの2と9に相当するもので、ついでに既に出版された他の文豪たちの本を列挙すると

1. 夏目漱石『行人』、3. 泉鏡花『高野聖』、4. 近松門左衛門『曽根崎心中・他』、5. 芥川龍之介『或阿呆の一生・他』、6. 島崎藤村『破戒』、7. 夏目漱石『道草』、8. 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

となる。このシリーズはこれからも続くらしく、これからどんな本が選定されるか楽しみである。選書に関して、できれば私もなにかお手伝いできればと願っている。
 ところがこのサトリ出版は、スペイン北西部、アストゥリアス県のビスケー湾に面した、人口25万ほどの地方都市の出版社なのだ。そして社主のアルフォンソ・ガルシアさんはたぶん30代後半の若い出版人で、その誠実な仕事ぶりは今回の短い付き合いでも強い印象として残った。いまや世界の出版業界は電子ブックなどの登場で不況の波に見舞われている。大手出版社も傍目から見る限り、おたおたと浮き足立っているように見える。出版社にしろ新聞社にしろ、本当にいい仕事をしようと思うなら、小規模で細かいところにも目配りした丁寧な本造り紙面造りに切り替える必要があるのではないか。そんな意味で、日本の出版社や読者さえもが忘れ果てていた日本の良書を出版し続けているこのサトリという小さな出版社の今後一層の健闘を期待したい。
 いましもスペインは読書週間たけなわらしく、アルフォンソさんたちもサラゴサのブック・フェアに出張していたようだ。昨日頂いたメールでは『フクシマ 災禍を生きる』が  “está teniendo una gran acogida entre el público de las Ferias”、つまり書籍市を訪れた人たちに大好評だとのこと。もしそれが本当なら、僻目かも知れないが冷たく迎えられた我国での敵を遠くスペインで討ってもらえそうだ。
 いやいや、実を言うといつもの通りここまでが異常に長い「前振り」で、本当は、いろんな経緯があったが、著者ノートにも書いたとおり、今回はハビエルさんという実に得がたい翻訳者に恵まれたということを改めて言いたかったのである。スペイン・テレビのインタビューで翻訳でもっとも苦労したのは、と聞かれた彼は、著者特有の地口(またはおやじギャグ)めいた表現だ、と答えたそうだが、それらをも含めて今回初めて読んで(実はその都度彼から訳稿が送られてきたにもかかわらず、ほとんど眼を通していなかった)、彼が実にうまい訳をしてくれたことにびっくりしている。
 偉い人と比べるのはそれこそ烏滸がましいが、以前、魯迅の作品は日本語で読むよりスペイン語で読む方がすっと頭に入ってくると書いたことがあるが、私の文章もスペイン語で読んだ方が…むっ、これちょっと論理に無理があるんとちゃう? ともかく私自身は、なにか他人の書いたものを読むような新鮮な気持ちで、連日楽しみながら読んでます。皆さんの中でスペイン語が少しでも理解できる人がいたら、ぜひスペイン語版を読んでみてください。そのうちアマゾンでも手に入るようになると思いますので。これ手の込んだ自己宣伝です。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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