ここらでちょっと(三)

スペイン語版の「自画像」には、こんなことも書いている。 「大学三年目に修道生活の可能性を考え始め、その一年後、イエズス会の志願者となり、そして卒業と同時に広島の修練院の門をくぐった。しかし入会を決意したのも突然だったが退会するのも早く、五年目に還俗した。この五年間の修練時代は、私にとって一種の <魂の兵役> だったなどと言ったこともあるが、しかしその時代が今もって謎であることを白状しないわけにはいかないし、これからも決して解き明かすことの出来ない謎であり続けるであろう」。
 還俗について表紙裏の著者紹介文では気を遣って(?)「tras una profunda reflección」、つまり真剣に考えた末に、となっているが、正直に言うと、「自画像」の説明の方が真実に近い。 それはともかく、今言いたかったのは、ニコラス総会長への書簡を書くことによって、改めてその謎を自分なりに(そんなことに興味を持っているのは自分以外にいないことは百も承知で)考えて見たいということである。つまりそうすることはキリスト教と自分の距離を測ることにもなり、両者がこれから先相交わることが無い平行線を辿り続けるとしても、キリスト教ならびにその信徒たちが私にとって最も近しい存在(だいいち我が愛するばっぱさんを初め肉親たちが、そして最近それに嫁の頴美や孫の愛が加わったのだから)であることを再確認したいのである。
 つまり今回の書簡を書くことによって、私が模索し明らかにしたいのは、この先私が死ぬまで続けたいと願っている世界平和のためのささやかな運動、もっと具体的に言うと、根っからの政治音痴であるので反戦や反核兵器への闘いはちと荷が重過ぎるが、取りあえずは原発ゼロの世界目指しての闘い、にキリスト教徒とどう共闘できるか、それを模索し、できればそう働きかけていきたいのである。 それには貞房なりの計算、と書けばいかにも打算の臭いがするが、しかし事は世界平和という大きな、しかも高邁な理想のためである。少しくらい浅知恵を働かせても罪にはなるまい(ちょっとばかり嫌味にはなるが)。
  つまり現在世界の総人口は、71億2,275万人、ネットで世界人口時計を見ていると1分間に137人ずつ増加している。先ほど初めてその時計を見たのだが、そら恐ろしくなって途中でやめた。もちろん死者の数も…たぶんどこかにそんな死者時計もあるのだろうが怖くて見る気にもなれない。それはともかく、その71億人余りのうちキリスト教徒は21億7千万人、うちカトリック信者は11億3千万人(『ブリタニカ国際年鑑』2007年版)。
 そしてその11億人余りの信者を擁するカトリック教会の中に修道会がいったいいくつあるか、日本だけでも男子修道会、女子修道会を合わせると150あるそうだから、これが全世界ともなれば…統計的な数字はこの辺にして、数ある修道会の中で二番目に会員数の多いのがイエズス会。このイエズス会は、ヨーロッパ近代史の中で何度も話題になってきた。批判的見解として有名なのは、自由意志と恩寵をめぐってのパスカルの『田舎の友への手紙』(森有正訳、白水社、1949年あり)であろう。
 ということは、貞房氏は無謀にもパスカルに倣ってニコラス総会長に神学論を挑もうとしている? とんでもない。私はイエズス会士として哲学を二年間勉強したきりで(それも芳しからぬ成績で)、そのあと神学に進む前に辞めたから、神学的な知識は皆無、それに対してニコラス神父は組織神学の教授です。だいいちその組織神学なるものがどんな神学なのかさえ分からないのですから話になりません。しかし私にも少しだけ自慢できることがある。それは、まだ会の中に居た頃、創設者聖イグナチオの本を、エバンヘリスタ神父と共訳したことである(『ロヨラのイグナチオ その自伝と日記』、桂書房、1966年)。
 回り道をせずに話を元に戻すと、私が総会長に書簡を書こうとしているのは、世界から原発がなくなるために力を貸していただきたいと衷心から訴えるためである。総会長ご自身がもともと日本管区で司祭生活を始められ、日本のことを深く愛されている方だと信じているからこその願いである。キリスト教から離れたはぐれ鳥の私が言うのはそれこそ烏滸の沙汰ではあるが、広島で自ら被爆体験をした28代ペドロ・アルーペ総会長から一代置いて(29代はドイツ出身のコルヴェンバッハ神父)、再び日本と深い関係のあるニコラス神父が総会長に選出されたことに何か摂理的なものを感じざるを得ないのだ。
 こんなことを書くと心あるイエズス会士から顰蹙を買いそうだが、従来、教皇は白い僧服、イエズス会総会長は黒い僧服であることから、総会長は黒い教皇と影で噂されてきた。つまりそれだけイエズス会は教会内で隠然たる勢力を誇ってきたということである。ところが今や歴史上初めてイエズス会士が教皇となったわけで、イエズス会の影響力が更に強まったことを警戒する向きもある。しかしニュースで見る限り、教皇は難民たちを訪ねたり、現代世界のゆがみに積極的対処していこうという姿勢が見られる。
 これまたうがった見方だが、かつての日本布教の折にもイエズス会と競い合った最大修道会のフランシスコ会のその創設者の名前を教会史上初めて新教皇が名乗ったということにも深い意味がある。どちらかと言えば教会内で組織力と知的エリート集団として名高いイエズス会的精神に、清貧と温和・協調の色彩が濃いアッシジの聖フランシスコの霊性が加わることを意味しているからである。たまたま見たネットには、その二人のイエズス会士、つまり奇しくも同じく1936年というスペイン内乱勃発の年に生れた総会長と新教皇が親しく抱擁を交わしている写真が載っていた。カトリック教会に新しい風が吹き始めたようだ。
  総会長には、この困難な時代にキリスト者として、修道者として、そして大きな修道会の頂点に立つ人として、解決しなければならぬさまざまな難問を抱えておられることは重々承知してはいるが、しかしそのうちでも世界の非核化が最大かつ最重要課題であると認識なさっておられると確信している。実は私自身、今回の事故に遭遇していなかったとしたら、残されたわずかな時間を原発ゼロ到来のためにすべてを賭けてもいいとまで考えることはなかったであろう。しかし世界で唯一、原爆と原発事故を経験した我が愛する日本が、あたかも何事もなかったかのようにまたもや経済優先・便利さ快適さ志向の路線に戻るだけでなく、それを更に推し進めようとしていることに深い危機感だけでなく、今や絶望感さえ持ち始めている。ここは何としてもできるだけ多くの、しかも影響力のある人たちと共闘して行かなければ、と考えたのもあながち牽強付会の暴挙ではなかろう。
  と、ここで書いてきて、果たしてそんな書簡を書き続けるだけの力量とエネルギーが自分に残されているだろうか、自らいよいよハードルを高くしているのでは、との感なきにしもあらずだ。そんなとき今や我が終生の友となった韓国の写真家・鄭周河さんが、大震災二周目の今年3月11日、そこ南相馬の海辺で語った言葉が私を鼓舞して止まない。ニコラス総会長にもぜひ一度見て聞いてもらいたい彼の言葉である。私には大震災後に聞いた最も美しい言葉であり、国境や人種、そして宗教の違いを超えた「祈り」ではないかと思っている。
 実は今週の17日、その鄭周河さんの写真展を今月24日から8月26日まで開催する沖縄・宜野湾市の佐喜眞美術館の上間さんという方が会いに来てくださる。その際、南相馬、原爆の図丸木美術館、そして東京を巡回して、いま彼の写真展の最終開催地が沖縄であることの深い意味と重要性を改めて沖縄の人たちに伝えていただくつもりだ。 ともあれ「ここらでちょっと」と題したメッセージの最後も鄭さんのあの言葉で締め括りたい。3月11日、午後2時46分、どうして震災二周目をこの海辺で迎えようと思ったのですか、という質問に彼はこう答えている。

「海によってこのような現実が始まってしまいました。しかしそれは海の過ちではなく人間の過ちです。ですから海に対して詫びたい気持ちもあり、また亡くなった皆さんは海に帰ったように思いますので、共に追悼したいと考えたのです。」

  そして彼はあの大地に深く膝をついてする美しい韓国式の礼拝を死者たちに捧げる。このとき朝鮮語で彼の最後のナレーションが流れるが、激しい破裂音の入ったその言葉が、どんな国の言葉よりこの場にふさわしく胸に強く深く響いてくる。何度も言うが震災後に見た、そして聞いたどんな光景や言葉より、このときの鄭さんのそれがもっとも強く深くわれわれ被災民の胸に響いてくる。そう、彼のその時の言葉はまさに正しい怒りから湧き出てきた祈りである。そして私は、この祈りが、単に津波で亡くなった人たちだけでなく、原発事故後の間違った行政の指示の中で命を落とされたたくさんの老人や病人たちのためのレクィエムでもあると受け取っている。

「私たちが今抱えているのは津波の問題ではありません。根源は人間です。人間の欲望が作り上げたものが、今私たちを叩きのめしているのです。たとえそれが海から始まったことであっても」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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ここらでちょっと(三) への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が翻訳された『危機を生きる』を読み終えて、その中にあった一つの言葉、「道徳的洞察力」、が強く印象に残りました。以前「からつ塾」の大嶋氏の講義を視聴して、福沢諭吉が、これからの時代は宗教が人類の精神的役割を担うと言われていたことと、この「道徳的洞察力」を養うこととは密接な関係があると私は直観的に感じました。『危機を生きる』の中でダニエル・ベリガン神父がこう言われています。

     「自己認識を奪われ、道徳的洞察力や勇気の弱まった人間は、自分の希望達成の道具として新しい科学精神にしがみついた。しかし道徳的感覚の弱体化にともなって、とりわけ大きな道徳的問題に対処するだけの備えができていない彼らに、テクノロジーの力についての新しい感覚がさらなる危険をもたらす。病んだ人々は、自分たちの世界と対決するエネルギーをどこからも汲み取ることができないのだ。おそらく彼らは、ただ吐き気や侮辱そして幻滅しか感じない世界を、焦燥のうちに抹殺しかねない」

     敢えて私は、原発をテクノロジーの力と解釈して考えると、世界的規模で人類の「道徳的洞察力」の欠如が感じられます。そして「道徳的洞察力」とは『危機を生きる』に書かれてあった「伝統的に普遍的(カトリック)な見方」ということなんだと思いました。

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