震災の年の八月に放送された「フクシマを歩いて」が上の「取材映像」から見れるようになりました。あの頃はまだ美子が、意味は分からずとも話していたことが懐かしく思われます。
私たち夫婦が出ているのは、12分20秒あたりから13分間ほどです。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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震災の年の八月に放送された「フクシマを歩いて」が上の「取材映像」から見れるようになりました。あの頃はまだ美子が、意味は分からずとも話していたことが懐かしく思われます。
私たち夫婦が出ているのは、12分20秒あたりから13分間ほどです。
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
先生を知ったのが、この「フクシマを歩いて」を視聴したことだったので私には懐かしい映像です。もう二年も経ったんだという時の速さにも驚いています。この中で先生が言われていることが、原発事故があったからの言葉ではなく先生の生き方から自然と滲み出てきた生命(いのち)の言葉だということをモノディアロゴスを拝読してわかりました。余談ですが、この「こころの時代」のテーマ音楽をウォン・ウィンツァンという人が手がけています。超越意識で奏でる透明な音色で瞑想のピアニストと呼ばれています。ユーチューブでも聞けます。
阿部修義さん
いつも的確なコメント(時おりの過分な褒め言葉はそのままありがたく頂戴して)、そして貴重な情報ありがとうございます。「こころの時代」のテーマ音楽、聴くたびにいい音楽だな、と思ってましたが、ウォン・ウィンツァンという人が作曲したものだということ、初めて知りました。さっそく他の音楽も探し、彼のプロフィールなども調べ、改めて感銘深くしています。どうもありがとうございます。これからもどうぞよろしく。
「こころの時代〜フクシマを歩く」初めて拝見しました。
人災である東電原発事故への怒りが改めてわいてきました。
徐京植さんと先生との交流の様子はこれまでも、このブログで読ませていただきましたが、映像の中の言葉の一つひとつを噛みしめていきたいと思います。
映像が見られることを友人達に知らせます。