言わずもがなのこと

化学兵器使用に対する拒否反応について、そんなものは手前勝手な仁義に過ぎない、などと言ったが、たぶんにわかには理解できない言葉遣いなので、すこーし説明しよう。
 いやその前に言わずもがな、の大前提を言っておく。要するに私の主張は、通常兵器も化学兵器もそもそも製造したり輸出したり、もちろんのことその使用そのものに大反対だということである。でもそうしたらこの世に悪がはびこり、善良な人たちは絶えず暴力の恐怖に晒されるではないか、と反論されるかも知れない。そう、どこかの国は、だから銃器を所有する権利を憲法で保障している。でもそれによって過剰な自己防衛やら幼児の誤射やら、挙句の果てにどこか頭の弱い馬鹿者によって学校や病院を舞台に大量殺人が起こっている。そんなとき、とばっちりを受けた被害者には気の毒だが、銃規制を頑なに拒否しているあんた方の責任でっせ、どうぞご勝手にとつぶやくしかない。
 そんな国が警察国家を自から買って出て国際社会の秩序と平和を守ろうとしている、というのが掛け値なしの現在の世界だ。今回のシリアだって、小銃など簡単な兵器は自国製のものかも知れないが、正確に作動する高級な(?)、つまり殺傷力のある兵器は、さあどこの国製のものなんでしょうなー。世界でいちばん「死の商人」がいる国はどこなんでしょうなー。商人といっても、銃器の密輸で暗躍する末端の商人と違いまっせ。ほぼ国営企業並みの大会社経営で大儲けしている金持ちたちのことです。
 ビン・ラディンだって(今やどこかの海底深く安らかに眠っているあのビンさんです)、ある時まではどこかの大国の支援やら武器供与やらで次第に力を増した人だが、そのうちありゃりゃこれまずいな、と今度は抹殺されるハメになった人。言いたかないけど、まっことお粗末極まりない筋書きですなー。詳しくは知らないけれど(だったら言うな!)ラテン・アメリカでの歴代の数多くの独裁者たちとその大国との関係も、これまたまるで判を押したようにそうした荒っぽい筋書きで進行していた。
 話がちーとずれてきたんで、元に戻す。つまり化学兵器使用への拒否反応は、要するにそれを見る側の、きわめて手前勝手なヒューマニズム、良心の痛みをなんとか糊塗しようとする似非義侠心、つまりそれをやくざの仁義と言ったまで。だって考えてもご覧遊ばせ。今や致命的な傷を受けて死んでいこうとしている人間にとって、それが通常兵器による傷であるか、それとも化学兵器によるそれであるか、実はどうでもいいこと、つまりどちらにしても耐え難い苦痛の中にいることに変わりはない。それを識別して、あゝこれは酷い、と感じるのは、手を下した側の、あるいはそれを黙視している人間側の、遅きに失する感情移入以外の何物でもない、と言いたかったわけ。
 あゝそうだ、ここまでボヤいたので、ついでにもうひとつ。原発事故の際 にも感じたことだが、今回のシリア情勢ニュースを読み上げる若い女性の、なんと事件の深刻さとまるでチグハグな明っかるーい、まるでアッカンベー(すんません、これAKBのことです)の尻の青い(失礼!)小娘が意味の分からない作文読み上げるみたいな状景、やたら気になります。読み上げるニュースの内容をよく理解している大人の女性に読み上げて欲しいんですわ、加賀美さんみたいな。あっ、でも北朝鮮放送によく出てくる女講談師みたいなのも嫌ですぞい。
 もういちど念を押します。要するにいちばん言いたかったことは、安易な参戦で事態を更に悪化させるのではなく、これまでのあらゆるルート、方法を駆使して、内戦の愚かさを諄々と説いていくこと。なにっそんなの生ぬるいですって? でも敵対する双方の長年にわたるしこりをほぐすには、それと同じくらい時間をかけて、本気になってじっくり説得していくしか他にどんな妙案がある? マカロニ・ウェスタン風の乱暴でアッタマの悪―い強行手段で事態では一向に収束などしませんぞなもし。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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言わずもがなのこと への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     『モノディアロゴスⅣ』の中に私が何度も読み返した言葉がありました。

     「忘れてならない重要な事実がある。それを抜きにしては、家族であれ社会であれ、いずれは弱体化し、ついには崩壊せざるを得ない事実、それは人間にとって貴重なものはすべて、同時に『うっとうしい』ものであるという厳然たる事実である」

     アメリカが先導して主張しているシリアの軍事介入の問題の明確な答えは、先生が言われるように「敵対する双方の長年にわたるしこりをほぐすには、それと同じくらい時間をかけて、本気になってじっくり説得していく」ことだと私も思います。それは、ある意味、非常に「うっとうしい」ものなんでしょう。しかし、それは、また、人間の掛け替えのない命を左右することでもあるからです。『モノディアロゴスⅣ』に先生が書かれた文章の意味の深さ、重みを感じています。

     

     

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