嬉しい結末

ちょっと前、二日目の取材を終えたばかりである。明日午前中、鹿島の仮設老人ホームによっちゃんを訪ねるシーンでめでたくお役放免の予定。それはともかく、今日午後の幼稚園取材で予想外の展開が待っていた。爺やが孫娘を幼稚園の玄関先で迎えるシーンのあと、コーディネーターのGさんが迎えのお母さんの一人にインタビューを敢行して見事成功、快く応じてもらっただけでなく、そのあと、先日応対してくれた若い先生が園児のいない教室で事故後から今日までの幼稚園の苦闘の歴史を実に的確に話してくれ、それだけでなく父兄の迎えが遅れている他の二人の園児と愛が室内砂場で遊ぶシーンも設定するというサービスまでしてくれたのである。
 これには感謝感激あめあられ(古っー!)。実は昨日あれから上のブログを印刷して幼稚園職員室を訪れ(急襲し?)、直談判に及んだのである。その時相互の行き違いが判明したが、かなり本音でぶつかり合った後だったから、今日の展開は意外でもあり嬉しい驚きでもあったのだ。 これまでもそうだったが、何か問題が生じたときは有耶無耶にせず、怖めず臆せず、相手側にこちらの真意をぶっつければ、九割がたは良い結果を生む。もちろんしんどいし厄介だが、でももやもやしながら事態を放置するよりはるかにいい結果を生む。ともあれご心配をおかけしましたが、ご休心ください。
 さて肝心の番組の放映は来十二月だそうだが、私には今回の取材そのものよりもこれを期に三人のスタッフと真の友情を結べたことが何よりも嬉しい。完成時にはDVDを送ってくださるそうなので、それもいずれ「取材映像」で紹介させていただく。例の夜の森公園で夕陽に向かって爺やと孫が歩くRカメラマンの見事な映像など、それだけでも感動(?)すること間違いなし。おっとそれ以上バラすとKディレクターに叱られそうなのでこの辺で止めときます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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嬉しい結末 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     誰もが冷静に考えれば、先生の言われる事が道理に合っていることが分かると思います。先生はご自身が正しいと判断されたことに対して決して妥協され相手に合わすことはされない人だということをモノディアロゴスを通じて私は知っています。そうした一貫性のある生き方というのが今の時代を生きるためには大切だと私は感じます。変化の激しい時代にあって、ともすれば、その変化に迎合し自分の考えを主張せず、信念も哲学もないまま生きている人が多いんじゃないでしょうか。私たちの生活に直結する選挙なども、安易に岸信介の孫、吉田茂の孫なら大丈夫という考えで、自民党に入れた国民も多いはずです。しかし、歌舞伎の世界と違って政治家には調和と平等と平和を国が維持していくための総体的な能力が求められます。人間はどんな偉人でも一代限りのものです。私たちはモノディアロゴスを通じて自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の心で感じることが常に出来るように学んでいかなければならないと私は思います。

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