先日は今にも消えそうな記憶の砕片を拾い集めたいなんてことを書いたが、それより以前に、文字に残されている過去を整理しなければならないことになって、この数日あたふたしている。思わぬ邪魔が入るといけないので(まさかウソですよ)具体的なことはまだ言えないが、ある申請書のために必要な「履歴書」を、それも外国語で作らなければならなくなり、慌てて古い日記などを整理している。今までも本の奥付などに簡単な履歴・業績を出版社が作ってくれたことはあるが、今回のように正確な日付を入れなければならない履歴書作成は久しぶりである。以前一度かなり詳しい履歴書を作ってパソコンに入れておいたはずだが、何回かの機種交換でいつの間にか無くなってしまった。
さてそのためには日記が役立つのだが、改めて調べてみると、たぶん普通の人よりマメに書いてきた方ではないかな。といってモノディアロゴスを書くようになってからはつけていない。つまり2002年あたりから日記からは離れてしまった。これまでの日記帳は合計8冊あるが、中には大学ノート十冊くらいを合本にした背革の大冊もある。
1. 1961~1967年
2. 1967~1972年
3. 1973~1974年
4. 1974~1977年
5. 1977~1982年
6. 1983~1990年
7. 1990~1993年
8. 1994~2002年
背革大冊の1は『修道日記』という題名つきの日記で、修道院入りから還俗までの日常が克明に綴られている。先日ここで紹介した母の手紙が挟まっていたのもこの日記の中であった。他にもラテン語で書かれた退会証明書なども挟まっている。
それら日記群のところどころを読み返してみると、まるで他人の記録のように思えてくる。時間の経過がそのように思わせるのかも知れないが、要は記録の中の私は私であって私ではない、という不思議な存在になっているということだろう。だからピープスのように暗号化する必要もないし、他人に見られても恥ずかしいとも思わない。事実、だれも手に取ることはあるまいが、廊下の書棚に雑多な本と一緒にまとまって鎮座ましましている。死後、子どもたちや孫たちが読んでくれることさえ願っている。ちょうど祖母・安藤仁や母・千代が書き残した文章群のように、一族の記憶の連鎖が途切れないためである。
大袈裟な物言いになるが、過去に囚われるのも愚かだが、過去を亡失することは愚か以上に忘恩であり(だれに対して?まあ言うなればお天道様、人類共同体、先祖様に対してかな?)低劣な生き方である。
過去を忘れ、ただただ右肩上がりで前のめりの現代日本人よ、お前はどこに行こうとしてる?(ちょっと偉そうに言ってみました)
大震災・原発事故から四年という年月が過ぎました。原発事故の収束は未だに何ら見通しも立たないまま今日に至っています。しかし、安倍首相がコントロールされていると世界に向かって断言してからメディアからも実状を話題にすることが激減したように私は感じています。原発事故の詳細な検証と真摯な反省を私たちは決して見過ごしてはいけないと思います。国民が選んだ現政権は原発輸出、再稼働で今後やっていくようですが、私はこれで良いのかと強い疑念を抱いています。