紙上インタビューに答えて

先日ちょっとお知らせしたように、サンパウロの新聞 Folha de S. Paulo に紙上インタビューを求められ、以下のように答えました。質問はスペイン語でしたが日本語で答えました。さすがブラジル、そちらでポルトガル語に翻訳してくれるそうです。担当記者はファビアノさん。紙面に報じられる前にこうして発表するのはどうか、と思われますが、なに外国の新聞だし、今日はちょうど4周年目なので一足先に発表します。インタビューらしく良く考えないでの即答ですから(?)大した内容にはなっていませんが、そこんところは宜しく(何を?)願います。

  1. 「あなたの本の中に大震災から一年間の経験や印象が書かれていますが、四年経った今、南相馬での生活に事故の影響はどう続いていますか。」

     ちょうど今日(3月11日)が大震災・原発事故から4周年目に当たります。先ず最初に、今回思いがけなくこうして貴紙のインタビューを受けたことを非常に光栄に思ってます、と申し上げます。
     ご存知と思いますが、原発事故は汚染水の処理、除染など未だに収束しておりません。私の住む南相馬はまだ高い線量のところが残っており、除染は道半ばですが、それよりも心配しているのは避難生活などで地域社会や家族が分断され、そのためPTSDなど心理的なダメージが多発していることです。つまり直接的な放射線被害より心理的な被害が心配なのです。

  2. 「福島県住民のうち7万人が未だに仮設住まいをしていますが、帰宅の可能性はありますか?」

     私の住む南相馬の南三分の一は未だに仮設住宅暮らしで、自宅に帰ることが出来ません。私の母方の親戚の多くはこうした避難生活を続けており、帰宅の可能性はまだ見えていません。でもいたずらに警戒し心配するより、科学的・医学的に見て安全と判断される地域に先ず生活し始める必要があるのではと思います。以前、半分冗談交じりに言ったように、ギャザ地区のイスラエル人のようにゲリラ的に住み始め、いつか点を線に繋げていくことが必要ではないかと思ってます。
     私自身は敗戦後の日本を知っていますが、国も政府も崩壊した当時の日本人は、もっと生きることに貪欲でした。今はすべてを「お上」に頼っているような気がしてなりません。

  3. 「政府は原発稼動を続けようとしてますが賛成ですか?」

     以上述べてきたことでお分かりいただけると思いますが、現政権の再稼動容認、さらには他国への原発輸出の政策は天をも恐れぬ完全に間違った政策です。恥ずかしいことに貴国にも原発輸出を画策していると聞きました。もしそうだとしたら日本人の一人として心から恥ずかしく思い、何としてでもそれを止めて欲しいと祈ってます。

  4. 「世界に向けて福島はどのような教訓を残したでしょうか?」

     私は事故のずっと以前から反原発を主張してきましたが原発の仕組みそのものについては全く無知ですし知りたくもありません。しかし核の平和利用(・安全・クリーン)などは全くのインチキであり神話にすぎないというのが揺るぎない確信となっています。
     日本は原子爆弾の唯一の被爆国なのに、そして今回その同じ核を使っての原発事故を起こしたというのに、生活の利便・安楽を求めて相変わらず愚かな道を進もうとしていることを心から無念に思っています。どうかブラジルの皆様、脱原発そして反原発に向かって一緒に声を合わせてください。
     日本がかつての敗戦国ドイツのように脱原発・反原発へ舵を切ってくれるなら、私たち被災者の苦しみも悲しみもすべて意味を持ち、そして希望と喜びに変わることでしょう。真の復興はそれ以外に無いと思っています。
     原爆被災者がいまだ苦しみ悲しみから抜け出せないでいるのは、いまだに世界から核兵器が無くならないからですが、私たち原発事故被災者もこの日本から、そして世界から原発が廃絶されない限り真の安らぎは得られないと思っています。

※追記
 うっかり安全・クリーンの二語を書き忘れました。先ほど急いでファビアノさんに知らせましたが、間に合わないかも。でもそれでもなんとか文意は伝わるでしょう。(12日朝記)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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