即席吉本演芸館

川口の孫たちが予定通り今朝十時十分の福島行きのバスで帰っていった。今度来るのは夏休みか。ばっぱさんも八王子から来た息子の一家をこうして毎回送り迎えしたんだろうな、とそのときの気持ちを想像しながら駅前のバス停で見送った。
 昨晩は予定通り美子も車椅子で食卓を囲んだ。そして食べながらおじいちゃんのお話。
今日はイオンで君たちに少し値段の張るゲーム機器を買ってやったこと、ちょっと後悔している。だって大貴に買ってやった妖怪ゲームなんかママが一日働いてやっと買えるか買えないかの値段だったから。でもこれは一年に二回しか会えないお爺ちゃんだから買ったので、パパやママから買ってもらえなくても決して不満に思っちゃいけないよ。でも感心したのは、お兄ちゃんの翔太君が大貴の半分以下の値段の野球盤ゲームなのに一つも文句を言わなかったこと。ともかく勉強や読書で頭が疲れたときにだけゲームをやってね。それでないとバカになっちゃうよ。
 今は、今日のイオンみたいに、物があふれていて、お金さえ出せばなんでも手に入る時代になった。でも物を大事にすることを覚えてね。今は小学生がアルバイトなんてしてはいけないと思うけど、お爺ちゃんは北海道で小四のとき納豆売りをしたよ。納豆一個十円。学校行く前にそれを売って、儲けたお金は宝石のように輝いていたよ。あの頃は家(うち)だけじゃなくみんな貧しかった。おもちゃやお菓子なんてめったに買ってもらえなかった。でも楽しかったよ。そしてね、貧しいことはけっして恥ずかしいことではないんだよ。贅沢をしたり、他人のことを羨んだりすることの方がずっと恥ずかしいことなんだよ。
 ああそれから、今まで言ったことはなかったけど、翔太君と大貴君の中には会津のサムライの血が流れているんだよ。剣の修行はね、他人に勝つためじゃなくて自分に勝つためのもの。翔太君たちも中学生になったら剣道をやりなさい。武具はお爺ちゃんが買ってあげるから。
 おやおや、会津のサムライ(実は落ち武者)のことは最近知ったばかりでまだ確かめもしていないのに。でも実際にサムライであろうとなかろうと、己れに対する厳しさを教えるにはサムライの話は利く(?)ようだ。一瞬子どもたちの目が光って引き締まった顔になった。
 少し真面目すぎる話になったかな、と心配したが、なになに彼らは現代っ子、夕食のあと、二人で即席吉本演芸館を始めた。最初は「8.6秒バズーカ」の「らっすんゴレライ」。実に堂々と、しかも単なるパクリじゃなく、少しオリジナリティも入れて演じた。次いで「クマムシ」の「あったかーいんだからぁ」、そして最後は「日本エレキテル連合」の「ダメよダメダメ!」 兄弟ふたり、実に上手に演じ切った。娘の話だと、翔太はネタ帳まで作っているそうな。吉本の芸人になりたい、なんて言いだしたら困っちゃうが。とにかく仲良く元気に育っていって欲しい。今回は仙台の愛は来なかったけれど、ちょうど間に合うように挨拶入りの手紙が届いた。
 以上、テイボー先生お爺ちゃんの巻でした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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