古い死と新しい死

広島原爆死没者慰霊式の画面がテレビの画面に映し出されている。八月六日は死者たちの意思が乗り移ったかのように、いつもこのような強烈な暑さに包まれてしまう。三十七年ほど前、あの息が詰まるような酷暑の中、白い背広にローマンカラーをつけて式典に参加したときのことが蘇ってくる。まるで厚手のゴム合羽を着たかのような気色悪い感触。だから、というわけではないが、あのころ、式典の深い意味にまだ気がついていなかったと思う。たぶんカラーを着けての初めての外出ではなかったか。暑さと自意識過剰の中で死者たちの心に寄りそうことなど無理というものだ。
 今日の式典で部分的に耳に入った秋葉広島市長の言葉に胸が締め付けられる。全世界とりわけアメリカ合衆国に向けての怒りを秘めた重いメッセージに比べて、後に登場した小泉首相の実に耐え難いほどに軽い言葉。まさか広島市長に花を持たせるための演出だというのだろうか。
 昼過ぎ、先刻から新聞を見ていた妻がとつぜん叫んだ。「Mちゃんが死んだ!」 ずいぶん長い間音信が途絶えていた、というよりこちらから一切の接触を絶っていた。〇〇ちゃんなどと呼んでいるが、享年52歳とある。あゝもうそんな歳になっていたのか。いや、そんな歳で亡くなってしまったのか、と言うべきだろう。腹膜炎という病名も気になる。苦しまずに死んだことを祈るばかりである。そして先に身罷った父TS氏のところに、そして彼女をわが娘のように可愛がった作家YH氏のところに昇っていったと考えて初めていくぶんか心が休まる。
 彼女は東京の兄夫婦のところで生活すべきではなかったか。兄の話だと、自分が身障者であるという意識を、他人を世話することで乗り越え、しかも自活の道さえ開かれるチャンスがあのころ身近にあったのに。南の島での母娘二人だけの生活。いささか広すぎるコンクリート御殿で、毎日の掃除だけでも大変ではなかったか。いや、勝手な想像は慎もう。彼女とて全てを納得ずくで引き受けた生活だったと思いたい。彼女が東京で病院回りをしていたころ、何回か付き添ったことがある。そのとき書いた彼女のメモが今も残っている。東京のお兄ちゃんと思われた時期もあったのだ……TSの作品を読まなくなってずいぶん時間が経った。平静な心で読むには、もう少し時間が必要かも知れない。しかしMちゃんに会うためにも、そのうちTS作品世界に戻って行こう。


【息子註】M=マヤさん TS=島尾敏雄 YH=埴谷雄高

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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