いっとき私の聖書は『次郎物語』であり、哲学書は『三太郎の日記』だった。と言えば半分嘘になる。つまり後者は身辺にあっただけで、何度読み始めても途中でやめてしまったからである。哲学というものはなんと難しいことを、それに輪をかけた七面倒で辛気臭い言葉で語るものよ、と思ったのである。それに対して『次郎物語』の方は、文字通り聖書であった。人間が生きていくその道筋みたいなものを初めて教えてくれた本という気がする。
ただ、いま読み返したらどうだろう。主人公の気持ちに沿ってわくわくしたあの感動は、おそらくもう味わうことはできないであろう。それが実に悲しいことに思える。だから読み返すことをためらっている。新潮文庫の上中下の三巻を、例のごとく自家製布表紙で合本にしたものを今も手許に置いてはいるのだが。
作者下村湖人は本名虎六郎、佐賀の生まれで、東京帝大英文科卒、長らく中学や高校で教鞭をとったあと、1933年から37年まで大日本連合青年団講習所所長を務め、その間、機関誌「青年」に『次郎物語』第一部を連載、以後、終戦をはさんで第五部まで出版。未完のまま1955年、71歳で老衰のため自宅で死去。これは巻末にある「年譜」のままのデータだが、最後の71歳で老衰のため死去、というのがちょっとおかしい。でもいかにも彼らしい枯れた死という気もする。
たぶんいま読み返したら、家とか社会、特に国家と個人の関係の捉え方に時代的な限界を感じるかも知れない。しかしそれでもなお、この日本版『幼年時代』『少年時代』(トルストイ)は、時代を越えて通底する(こんな言葉は辞書にないらしいが)日本人の祖型(これもないか)みたいなものが表現されているように思う。
この家には、昔子供たちが休みごとに買って置いていったか、あるいは読み終わって寄贈した本(そのころ、バッパさんが近所の子供たちのために二階に「青桐文庫」というコーナーを作っていたので)が30冊ほど残っている。今彼らに見せても何の関心も示さないと思うが、できればいつまでも取って置いてやろうと思う。娘はそのうちの一冊『ももいろのきりん』(中川李枝子作・中川宗弥絵)を、ラ行の発音を笑われながらもすっかり暗誦するほど愛読していたことを、いつか懐かしく思い返すときがあるかも知れない。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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