もう一人の富士さん

階下の段ボールの山がとうとう無くなった。つまり研究室から運んだままの本がようやく整理できたということである。ただ手当たりしだいに空いている場所、空いてなければ廃材を利用して作った本棚や新たに買ってきた本棚、果ては鴨居のところに板をはめ込んで作った「備え付けの」書棚(合計五箇所)、へと詰め込んだだけであるから、並べ替えてある程度の秩序を持たせるには、あと半年はかかりそうである。誤解がないように急いで付け加えるが、それは本の数が多いからではなく、当方の作業速度が蝸牛級のスピードだからである。
 狭い空間をよくぞここまで埋め尽くしたと我ながら感心する。それはまるで空間を恐れるアラビア人のように、床だけでなく壁面までをも埋め尽くさんばかりの勢いである。
 それでちょっと困ったことが起こった。というのは、その本の山の中から一昨日、富士正晴の『乱世人間案内――退屈翁の知的長征』(影書房、1984年)という粗末な装丁の本を見つけたのだ。いや粗末と言ったら、影書房の尊敬する編集人松本昌次氏に失礼だ。この形容詞はさっそく背革の私製豪華本にしてしまった言い訳なので許して欲しい。ともかく富士正晴については島尾敏雄との関連から興味を持ち、読まないまでもこれまで彼の本を二冊持っていた。『どうなとなれ』(中公文庫、1980年)と『贋久坂葉子伝』(冬樹社、1979年)である。ところが先日見つけた『乱世…』はいつ買ったのか完全に記憶から消えていた。そしてぱらぱら読み始めたのだが、そこでちょっと困ったのである。まず名前の「富士」が一緒なのはいいし、「どうなとなれ」が「どうってこたねえ」と似ているのもまだいい。しかし今回の『乱世…』はちとまずい。つまり関西人特有のねちっこさを差し引いても(差し引くと?)、似ているのである。
 茨木市に記念館まで持っている有名な作家と張り合うつもりなどない。それはちと滑稽である。しかしなにか方向性みたいなものがこれだけ似ていると、こちらも意識せざるをえない。そこで考えた。今までのように彼の作品を読まないで進んでいって、それで結果的に似ていると言われるのは嫌だ。それならいっそ彼の作品を徹底的に読んで、それで彼との距離を意識的かつ無意識的に作った方がいいのではないか。それでその日のうちにインターネットの古本屋さんに発注、そして昨日届いたのだ。『富士正晴作品集』全五巻(岩波書店、1988年)。
                             

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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