時間を作ってぜひ再読してみたい作家、まだ読んでいない作品もきっちり全部読んでみたい作家、は何人かいるが、魯迅(1981-1936)もその一人である。もう少し若ければなんとか頑張って中国語を勉強し、中国語原文で魯迅を読むのだけれど、さすがにもう無理であろう。だいぶ昔のことになるが、中国で出版された『魯迅全集』(全16巻、人民文学出版社、1981)のカタログが手に入り、読めなくてもともかく買っておこうかとずいぶん迷ったことがあった。とうとう買わないでしまったが、身辺におくだけでもいい、あのとき思い切って買っておけば、と後悔している。
彼の短編も好きだが、奥さんの許広平との往復書簡の美しさにも心打たれる。そして彼の文章を読むたびに、どうしても苦悩する近代中国の姿が二重写しに見えてくる。このことは、ウナムーノ(1864-1936)と近代スペインの関係と多くの点で類似している。生まれたのはウナムーノの方が若干早いが、没年は両国にとって重大な危機が目前に迫っていた同じ1936年であった。彼らの文章を通して、スペインや中国の魂、それもとびきり高貴な魂の姿が見えてくる。
中国語原文への挑戦は残念ながら諦めざるを得ないが、スペイン語で彼の作品を読む道は残されている。実はスペイン語訳の『吶喊』を読みかけてそのまま本棚の隅に置いていたのが先日見つかったのである。スペイン語で魯迅は Lu Sin と表記し、吶喊は Grito de llamada となる(Ediciones Alfaguara, 1978)。昔読んだときに思ったことだが、魯迅には意外とスペイン語が似合う。つまり魯迅のどことなく乾いた文体、たとえば『吶喊』の中の短編群などは、スペイン語のやはり乾燥した構文(syntax)というのだろうか、それにまさにドンピシャリとはまってしまうのである。『狂人日記』などは、まるでウナムーノの『霧』を読んでいるような気分になってくる。
ところでこのスペイン語版の表紙には「作品集I」と書いてある。続けて作品集が何巻か出る予定だったらしい。第Ⅱ巻が出たかどうかは知らないが、ともあれ今は、この『吶喊』のスペイン語訳で魯迅を是非読み直してみよう。『魯迅選集』全13巻(岩波書店、1964年)はその後ゆっくり読み直すつもり。つもり……昨日も書いたが、なんだかこのごろ掛け声ばかりで、いろんなことが一向に先に進んでいない気がする。それこそ名ばかりの「吶喊」では魯迅先生に恥ずかしい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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