1980年の夏、家内と小学五年生の二人の子供を連れて一ヶ月、レンタカーでスペイン中を回ったことがある。各地のカルメル会修道院を訪ねながら、スペイン神秘思想の源流を訪ねるという不思議な目的の旅だったが、今振り返ってみて、あゝあの時やらなければ以後絶対にできない旅だったな、とつくづく思う。旅行シーズンなのに予約も入れずに結構楽しい旅ができたのは、町外れの簡易民宿みたいなところに泊まったからだ。そこは意外と清潔でもてなしもよく、家族四人の、今では夢のような楽しい旅の思い出の舞台となってくれた。朝ゆっくり起き出し、簡単な朝食のあとその日の行程をつっ走り、夕刻、また次の町の入り口近くで宿を求めての約五千キロの旅であった。
子供たちにはただ一つのノルマを課した。毎日日記をつけること。旅のあと、二人の日記をワープロで印字し、小部数の私家本を作った。二人の子供の個性が露骨に出ていて、今でも読み返すと結構笑える。
男の子の辛口のスペイン人評。「スペイン人はいつも暇のようです。道を聞くととたんに喜んで教えてくれます」。スペイン語を初めて勉強する学生に、父親はこの例をスペイン人のホスピタリティの良さとして説明した。「たとえばパリの街角で、道を聞こうとフランス語で話しかけてみよ。自国語に対するプライドの高い相手は、こちらの下手なフランス語を聞くと、露骨な不快感を示して何も答えず去っていくやも知れぬ。だがスペインで同じ事を試してみよ。とたんに人だかりがし、君が何を求めているかを、君の片言隻語を手がかりに、たちまち人の数だけの答が帰ってくるであろう。かくのごとくスペイン語の通用範囲は他国語の比にあらず、君たちは実に利用価値の高い言語を選びたり」、と。
ところが、『大衆の反逆』を読んでいたら、こんな箇所にぶつかった。「スペインを旅行する人をいちばん喜ばせることの一つは、街中でだれかに、これこれの広場や建物がどこにあるかとたずねると、相手は自分の行こうとしていた道を行くのをやめて、親切にもこの旅人のために犠牲となり、その人の行きたい場所まで案内してくれることがよくある、という点にある」。
しかしさすが同国人の欠点を冷静に見ているオルテガは、こう釘をさす。「わが同胞は本当にどこかに行こうとしていたのであろうか」……???
『裸の王様』の例に漏れず、子供の方が事の真実を見抜くということか。
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