親っかぶり

天気予報を見なかったが、今日は朝から小雨が降り、ふだんよりずっと早く暗くなった。外はまだ雨が降り続いている。まさか台風接近?…今年は台風も不規則な訪れ方をしたし、例年より寒さの訪れが早いような気がする。インターネットのおかげで、北の大地で農業をやっている友人ができたこともあって、気象情報には以前より敏感になったが、それでも生活がかかっていないだけ、このように……
 実はそれよりも我が家の気象事情の方が雲行きあやしくなって、現在視界ゼロ。それで物分かりのいい親っかぶりは疲れた、もうやめにしたい、と思っている。親っかぶり、もちろん猫っかぶりのもじりである。で、子供の方もびっくりしたろう、物分かりのいい親は実は仮面で、素顔はなんのことはない「普通の」親バカであることに。先輩が親身になって相談に乗ってくれてます、という子供(どちらの?は秘密、何について?それも秘密)のメールに、いささか誇りを傷つけられた親バカは(これは私の方でーす)、こう反論する。「親身になる、というのは文字通り親の身になる、ということ。親以外のだれが真に親身になれますか」。これはもう言葉遊びを使っての愚痴以外のなにものでもない。
 昔、人間学の授業で、デシーカ演じる『ロベレ将軍』を例に話したことを思いだしている。ロベレ将軍を騙る詐欺師が、いつの間にか民衆の祈りに感化されて、贋将軍であることを白状しないまま死刑台の露と消えた話である。つまりペルソナという言葉の語源がお面であるように、人はすべてなんらかの仮面をかぶっており、その仮面を最後まで誠実にかぶり続けるかどうかが勝負の分かれ道なのだ、という話。
 あるいは真実とは何か、に対するウナムーノの言葉。「人間の発する言葉 [かぶるお面] が、その人間の内的判断、内的真実に合致する限りそれは真理となる」。ではそれが単なる思い込みだったとしたら…それは誤謬ではあろうが、人間を内部から腐敗させる虚偽ではない、から大した問題ではない……
 いやー、要するに、時代がどう変わろうが、思想がどう教えようが、人生相談が何を諭そうが、子を思う親の真実は、ときにそれが頑迷固陋で、時代遅れのコンコンチキと思われようが、理屈ぬきのものであること。それが通らなくとも、歯軋りしながら子を思う己れの真実に賭けるしかないということ。(結局何を言いたい?親っかぶりの親の真実とでも?)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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