落ち着かない様子をしているな、と見てるいると、いつものようにご主人は階下に降りていった。ご主人なんて言いたくないけど、他の呼び方を知らないのでとりあえず。あっ、ご主人というのは男の方です。連れ合いもいるけど、ご主人というより、私の下女といった方がいいので。
降りていったと思ったら、そそくさと文庫本を二冊ほど持ち帰ったようです。仕事に行き詰まると、下の未整理の本の山からなにかしら持ってきて、たいていは掌サイズの掃除機、あの電池で動くやつでまず天辺の埃を吸い取り、続いてボロ革やボロ布を使って器用に装丁してしまうのです。でも今日持ってきたのは、装丁し甲斐の無い薄手の文庫本、ちらと覗いてみると正岡子規の『病牀六尺』らしいです。よく見えるなとおっしゃるのですか? 私も寄る年波でこのごろ白内障気味なのですが、先日獣医さんからもらってきた目薬をさすようになって、いやに視力が良くなったのです。
ははーん、ご主人の考えていることはだいたい読めたぞ。老人や病人や病犬をかかえているので、自分は気軽に外出も出来ない。この間だってせっかく静岡くんだりまで行きながら一泊でとんぼ返り。それで昔国語の教科書で名前だけ知っていたけどまだ読んだことのない『病牀六尺』を読んで、自ら慰めようって寸法だな。考えすぎ?いやいや、ご主人は(あー嫌だいやだこの呼び方)あれで意外に気が小さいところがあって、自分より恵まれない人と比較してやっと元気を出すというタイプなんですよ。
六尺ねー、確かに大の大人にとって六尺はほぼ身の丈。でも僕は二尺の箱の中で暮してるんですよ。何?お前の身の丈だろうって。まっそう言われればそうですが、でも子規さんに比べて恵まれてるわけじゃありませんよ。僕の心の内を想像できるかできないか、そこであなたの人間の器の大きさが分かろうというもんです。なかなか辛いっすよ。
今日は十日ごとの大熊参りの日。先日ご主人は(ほんとやだ、この呼び方!)、僕の鳴き声を屠所に引かれる豚みたいなんて言いましたよね。でも分かります?十日ぶりに外に出れるんですよ。二匹の猫たちは(名前?知らねえな奴らの名前なぞ。僕にクッキーなんてふざけた名前つけやがって。奴らの名前と合わせるとホント笑っちゃいます)好きなときに好きなように外で遊べるんですよ。僕の喜びの声が、感極まって豚のそれに近くなるのは、もう当然じゃないですか!
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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